「西郷隆盛」の版間の差分

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*[[渋沢栄一]] 「私が大西郷とはじめて会ったのは、郷里を出て立派な志士気取りで京都をうろついている頃であった。当時の青年の間では、有名な人たちを訪問してその見識を聴き、時事を論じ合うことが一種の流行のようになっていた。そこで私もまたさかんに名士へ訪問して論じ合ったものだが、大西郷を訪ねたのもまったくこの意味にほかならなかった。その頃、大西郷は相国寺に宿をとっており、天下の志士がよくそこを訪問したものであった。大西郷は一介の書生に過ぎない私も快く引見され、あるいは攘夷を語り、あるいは藩政改革を語り、さらに幕政整理を論じたりして得るところがとても多かった。そのさい大西郷は、『お前はなかなか面白い男じゃ。食い詰めて仕方なく放浪しているのではなく、生活手段があってしかも志を立てたのは感心な心がけである。今後も時々遊びに来るがよい』といわれた。このような訳でその後も数度訪問したことがあるが、大西郷は本当にさっぱりした態度でいつでも親切にお話をされ、ときには、『今晩豚の肉を煮るから、一つ晩飯を食べていかないか』などと勧められ、同じ豚鍋に箸を入れて食事をともにしたこともあった」<ref>『渋沢栄一自伝』P58</ref>
 
*[[川口雪蓬]] 「十数年一所にいたが、まだ大声をだして家人を叱りつけるのを聞いたこともなく、眼をむいて怒ったのを見たこともなかった。身のまわりのこと、雨戸を開けたり閉めたりもみな自分でやり、たまたま他人がやっても、強いてそれをとめることもなかった。面白いのは、家の中で、よその他人がいるときは、そんなことはなかったようだが、屁をひりたいときは、轟音一発、あたりに響くような大したもので、そんな時、けろりとして笑ったりなどせぬ。全く赤ん坊がそのまま大きくなった様な天衣無縫の自然の姿であった」
 
*[[勝海舟]]