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'''正木憲時'''(まさきのりとき [[天文 (元号)|天文]]18年([[1549年]]) - [[天正]]9年([[1581年]]))は[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]・[[安土桃山時代]]の武将。[[里見氏]]の家臣。[[正木時茂]]の養嗣子。実父については時茂の末弟の[[正木弘季]]とするのが一般的だが、同じく弟の[[正木時忠]]とする説もある。養父と同様、「大膳亮」と称する。
 
[[1564年]]の[[第二次国府台合戦]]が里見軍の大敗に終わり、実父弘季と時茂の嫡男[[正木信茂]]が戦死した。そこで正木氏を継いで[[大多喜城]]を領した。この敗戦を契機に、里見氏は北条軍の反攻を受けることになるが、憲時はそれを懸命に防ぎ、逆に同年には[[米の井城]]を、[[1565年]]には敵将・[[伊能景信]]の居城である[[矢作城]]を落として大勝している。[[1567年]]の[[三船山の戦い]]でも奇襲策により北条軍に大勝する(旧来は養父時茂の功績とされていたが、近年になり時茂の実際の没年が[[1561年]]であったことが判明したことでこれらの戦功は憲時のものと考えられるようになった)。[[1574年]]の義堯の死後は、その子・[[里見義弘]]に引き続き仕えた。