「北関東」の版間の差分

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[[平安時代]]以降、関東に起こった[[清和源氏]][[源義家|義家]]流[[新田氏]]・[[足利氏]]、同[[源義光|義光]]流[[佐竹氏]]、[[藤原秀郷]]流[[足利氏 (藤原氏)|藤姓足利氏]]・[[小山氏]]・[[結城氏]]・[[佐野氏]]・皆川氏らはこの地域の領有権を巡って抗争した。[[下野国|下野]][[国司]]で[[宇都宮二荒山神社]]座主と[[輪王寺|日光山]][[検校]]職を兼務した[[藤原北家]][[藤原道兼|道兼]]流で[[下野宇都宮氏#下毛野氏|下毛野氏]]ないし中原氏の流れを汲む[[宇都宮氏]]は終始中央政権体制として下野国内の抗争の鎮静にあたった。<br>
 
[[鎌倉時代]]には[[鎌倉幕府]]の有力御家人となった[[小山氏]]が治め、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には[[足利尊氏]]の意向を受けた[[国司]]の[[宇都宮氏]]が掌握したが、[[室町幕府]]が[[鎌倉府]]を設置すると[[関東管領]]・[[上杉氏]]の統治下に入った。[[鎌倉公方]]の[[足利成氏]]が台頭し[[古河城|古河]]に移って[[古河公方]]を称すると領主たちはこれに従属した。[[戦国時代_(日本)|戦国時代]]に入って[[後北条氏]]が台頭すると、この地域は中央政府方(上杉氏、佐竹氏、宇都宮氏等)と後北条方(足利氏、小山氏、結城氏等)が拮抗する主戦場となり、最終的に後北条氏が勢力下に置いた。[[豊臣秀吉]]が後北条氏を破ると結城氏が代わって治めた。その後結城氏は領地換えになり、[[江戸時代]]は時の中央勢力から派遣された者が代わる代わる統治した。
 
現在、[[国道50号]]沿線にはR50ベルト地帯と呼ばれる東西方向の商工業ベルト地帯が形成されている。中でも、[[栃木県]]と[[群馬県]]に跨がる地域は'''[[両毛]]'''と呼ばれるが、この両毛地域は、日本で[[モータリゼーション]]が最も発達した地域圏「両毛デルタ地帯」を形成している。[[水戸線]]や[[両毛線]]はR50ベルト地帯の鉄路として機能している。