「許靖」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[陳紀]]に兄事し、[[華歆]]・[[王朗 (曹魏)|王朗]]・[[袁渙]]とも親交を結んだという。若くして従弟の許劭とともに、人物評価について高い評判を得ていたが、許劭とは仲が悪かった。許劭は[[太守]]の[[徐璆]]に任命され郡の功曹(郡の人事権を握る役職)となったが、許靖を取り立てようとしなかったため、許靖は生活のために馬磨きの仕事をしていた。太守が劉翊に代わると[[孝廉]]に挙げられ、[[尚書省|尚書]]郎となった。
 
[[董卓]]が朝廷を牛耳るようになると、董卓は許靖と[[周毖]]に人事を管轄させた。許靖は汚職をした者を追放する一方で、[[荀爽]]・韓融・陳紀・[[韓馥]]・[[孔チュウ|孔伷]]・[[張邈]]・[[劉岱 (東莱)|劉岱]]らを中央の要職や地方の長官に任命した。許靖自身も[[巴郡]]太守に任命されたが、任地に赴かず朝廷に留まり、[[御史中丞]]となった。