「エラトステネス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
緯度と距離との関連付けが本質
23行目:
[[古代ギリシア]]においては、場所によって[[北極星]]の高さが異なることなどから{{要出典|date=2011-02|title=この節で以下典拠とした van Helden (1985) に依拠しない記述であることを明確化するため要出典を追加}}、紀元前4世紀ごろより大地が[[球]]形をしており、宇宙が幾重もの球殻に取り囲まれているという説が唱えられるようになっていた。その後[[天動説]]として体系化されていくこの考えは、その著作は現存していないものの後世の引用から[[クニドス]]の[[エウドクソス]]が始祖であると一般に見なされている。この宇宙観では水、大気、火、天体が順に同心の球殻をなしていると見なされ、地球は天体の球殻([[天球]])に比べ点と見なされるほど小さいものと考えられた。このため、太陽からの光は場所によらずほぼ[[平行線]]として降り注ぐものとされた{{sfn|van Helden|1985|pp=4–5}}。
[[画像:Eratosthenes.svg|240px|thumb|エラトステネスによる地球の大きさの測定。シエネ (S) で太陽が真上にくる日の同経度のアレクサンドリア (A) での影が作る角度 ''φ'' は、地球上での緯度の差に等しく、両地点の距離 ''δ'' が分かれば地球の大きさが求められる。]]
エラトステネスは図書館で学ぶうちに、シエネでは[[夏至]]の日に陽光が[[井戸]]の底まで届くこと、つまり[[南中]]高度が 90°となる([[北回帰線]]上に位置する)ことを知り{{sfn|Walkup|2005|loc=''The Basic Problem,'' ''Meridian of Alexandria and Syene''}}、このことにより地球の大きさを計算できることに気付いた。アレクサンドリアで夏至の太陽南中時に[[鉛直]]に立てた棒とその影が作る角度が、シエネとアレクサンドリアの[[緯度]]の差に基づくものとみなし、シエネとアレクサンドリア緯度の差距離が地球[[球面#大円|大円]]の {{math|{{sfrac|1|50}}}} であに相当すること計測で確かめた。これは7.2°に相当する<ref>聖なる幾何学 スティーブン・スキナー著 ランダムハウス講談社発行</ref>{{sfn|van Helden|1985|p=5}}。
 
クレオメデスによれば、エラトステネスは、シエネとアレクサンドリアの距離を当時の単位で 5000 [[スタディオン|スタディア]]と見積り、ここから比率計算で地球の全[[周長]]は 50 × 5000、すなわち 250,000 スタディアと求めた。 一方、エラトステネスを伝える他の多くの著者は、252,000 スタディアという値を与えている。多くの研究者は後者の値をエラトステネスが元々の値にさらに2000スタディアを加えて修正を行ったためだと考えている。その理由は明らかではないが、正確性より実用性を重んじたため、単に当時用いられていた円周の60分割単位(すなわち角度の 6°単位)あたりの距離を切りよく 4200 スタディアとするためであったという説がある{{sfn|Walkup|2005|loc=''Eratosthenes' Correction''}}。また、シエネとアレクサンドリアとの距離は直接にはエラトステネスが作成した地図から得たものと考えられるが、それが元々どのようにもたらされた値であるかについては分かっていない。しかしストラボンはナイルが毎年氾濫を起こし地形を変えるために、エジプトでは専門の歩行者を使って毎年繰り返し距離の測定を行っていたことを記述している{{sfn|Walkup|2005|loc=''Distance from Alexandria to Syene''}}。