「第6軍 (ドイツ軍)」の版間の差分

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1941年6月22日、[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]が[[ソビエト連邦]]侵攻を開始すると、第6軍は[[南方軍集団]]の先鋒として参加した。1942年1月、[[元帥 (ドイツ)#第三帝国|陸軍元帥]]に昇進したライヒェナウは[[心臓発作]]を起こし、病院へ搬送するため航空機で運ばれたが、途中、航空機が事故を起こしたため死亡、後任の司令官には前第6軍参謀長、[[フリードリヒ・パウルス]]装甲兵大将が着任した。
 
1942年春、第6軍は[[第二次ハリコフ攻防戦]]において大勝利を収めた後、夏季攻勢の[[国防軍最高司令部 (ドイツ)|国防軍最高司令部ブラウ作戦]]よりでは、ボルガ河に到達して[[スターリングラード攻防戦|スターリングラードを攻]]して同年8月の占領する任務命じ与えられる。しかし第6たが、ソ連は迅速に[[ヴォルゴグラード|の頑強な抵抗でスターリングラード]]を占領きず、結局、冬を迎えることとは熾烈市街戦が11月まで続いた。
 
1942年11月19日から23日にかけて行われ始まったソビエト赤軍の反攻作戦、[[ウラヌス作戦]]により、第6軍の南北を守るルーマニア第3軍と第4軍は撃破されて、第6軍はスターリングラードで包囲され孤立た。包囲された第6軍の補給のため、空軍は空輸作戦を行ったが、ソ連空軍の妨害や対空砲などにより、補給は第6軍の戦力維持レベルとすることと700トン/日の半分にも届かい状態であった。孤立した第6軍を救出するため、[[ドン軍集団]](司令官[[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]陸軍元帥)は、12月12日に[[冬の嵐作戦]]を発動したが、結局、失敗に終わった。ドイツではそれまで降伏した元帥は存在しなかったため、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は1月に上級大将に昇進したばかりのパウルスを、名目だけであるが1943年1月31日に元帥に昇進させた。これは言い換えると、パウルスに暗に自殺するよう示唆したものであったが、結局、パウルスはソビエト赤軍に降伏した。カール・シュトレッカー(Karl Strecker)大将の指揮にあったXI軍団の残存兵も、スターリングラード北方のトラクター工場で2月2日に降伏した。
 
===再編成===