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[[File:Khatt-e Nastaliq.jpg|thumb|ナスタリー体で「ナスタリー体」と書いた書道作品。[[ミールエマード・ハサニー|ミールエマード]]の作例に倣って س を長いラスム線とその下の3点ヌクタで示している。]]
'''ナスタアリーク体'''({{rtl翻字併記|fa|خط نستعلیق|ḵaṭṭ-e nastaʿlīq}})は、[[アラビア書道|アラビア=ペルシア書道]]の書体の一つ。流麗な筆記体で、イラン以東で非常に好まれる書体である。14世紀後半にイランで開発された書体であり、ナスターリーグ体{{transl|ar|nastaʿlīq}} をペルシア語風にカナ転写したもの[[#特徴と使用範囲]]、ファールスィー体(ペルシア書体)ともいう
 
14世紀後半にイランで開発された書体であり([[#歴史]])、'''ナスターリーグ体'''({{transl|ar|nastaʿlīq}} をペルシア語風にカナ転写したもの)、'''ファールスィー体'''(ペルシア書体)ともいう。本書体は後述のようにイラン=ペルシア文化とのつながりが強いため、本項では、{{rtl-lang|ar|نستعلیق}} のカタカナ音写に関し、見出し語は「ナスタアリーク」とし、以後の地の文では基本的に「ナスターリーグ」とする。
 
==特徴と使用範囲==
[[File:Nastaliq proportions.svg|thumb|ナスターリーグ体で書かれた文字のプロポーションを示す図]]
ナスタリー体にはファーシア書スィー体({{transl|fa|ḵaṭṭ-e fārsī}} 「ペルシアの書体」の意)という別名がある{{r|ḵaṭṭ-e fārsī}}{{r|アラビア書道協会}}{{r|池田1982}}。ペルシアは現在のイランあたりのことであるが{{r|アラビア書道協会}}、ナスタリー体はそのイラン以東で好んで用いられる{{r|池田1982}}。ナスタアリーク体のアラビア文字(ここでは「ペルシア文字」を含む)で筆記されるのはアラビア語のみならずペルシア語や[[ウルドゥー語]]、[[パシュトー語]]、[[バローチー語]]なども含む{{r|池田1982}}。地域的にみると、これら言語が話されている地域、すなわち、イラン・パキスタン・アフガニスタン・インドで好んで使用されている{{r|Yusofi1990}}。
 
ナスターリーグ体のアラビア文字(ここでは「ペルシア文字」や「ウルドゥー文字」を含む)で筆記されるのはアラビア語のみならずペルシア語や[[ウルドゥー語]]、[[パシュトー語]]、[[バローチー語]]なども含む{{r|池田1982}}。地域的にみると、これら言語が話されている地域、すなわち、イラン・パキスタン・アフガニスタン・インドで好んで使用されている{{r|Yusofi1990}}。
他のアラビア文字書体と比較して、ナスタアリーク体の美的特徴は、一般的に「流線的」「流麗」「優美」「曲線美」などと説明されている{{r|アラビア書道協会}}{{r|池田1982}}{{r|Yusofi1990}}。
 
他のアラビア文字書体と比較して、ナスタリー体の美的特徴は、一般的に「流線的」「流麗」「優美」「曲線美」などと説明されている{{r|アラビア書道協会}}{{r|池田1982}}{{r|Yusofi1990}}。
==歴史==
ナスタアリーク体は、14世紀後半にペルシアで、{{ill2|ミールアリー・タブリーズィー|en|Mir Ali Tabrizi}}が[[ナスフ体]]と{{仮リンク|タアリーク体|de|Taliq}}を元にして開発されたと言われている{{r|Yusofi1990}}。その後、ナスターリーグ体は、サファヴィー朝のアッバース大王の宮廷に仕えた能書家[[ミールエマード・ハサニー]]らの書によって洗練を極めたと言われる<ref name="EIr-emadhasani">{{cite encyclopedia|encyclopedia=Encyclopaedia Iranica |title={{transl|fa|ʿEMĀD ḤASANĪ, MĪR, ʿEMĀD-AL-MOLK}} |first=Kambiz |last=Eslami |original-date=December 15, 1998 |date=December 4, 2012 |volume=VIII, Fasc. 4, |pages=382-385 |url=https://iranicaonline.org/articles/emad-hasani-mir |accessdate=2020-11-21 }}</ref>。
 
特に[[サファヴィー朝]]、[[ムガル朝]]、[[オスマン帝国|オスマン朝]]では[[ペルシア語]]の[[詩文]]や挿絵付き[[年代記]]、『[[シャーナーメ]]』などの文学作品を筆写するのに好んで使われた書体でもある。
 
==歴史==
ナスタリー体は、14世紀後半にペルシアで、{{ill2|ミールアリー・タブリーズィー|en|Mir Ali Tabrizi}}が[[ナスフ体]]と{{仮リンク|タアリーク体|de|Taliq}}を元にして開発されたと言わ{{r|Yusofi1990}}。15世紀以後、ペルシアでは多くの写本がこの書体で書かていようになった{{r|Yusofi1990}}。ただし、インド、トルコ、エジプトなどで使用は限定的である{{r|Yusofi1990}}。[[サファヴィー朝]]期の前半は、ナスターリーグ体サファヴとりもなおさずペルシア書道の盛期とされ、「書家たちのスルターン」と呼ばれる{{ill2|スルターンアリー・マシュハディー朝の|fa|سلطان‌علی مشهدی}}や、[[アッバース大王]]の宮廷に仕えた能書家[[ミールエマード・ハサニー]]がすぐれた作品を残した{{r|Yusofi1990}}。ことにミールエマードは、その書によってナスターリーグ体が洗練を極めたと言われる<ref name="EIr-emadhasani">{{cite encyclopedia|encyclopedia=Encyclopaedia Iranica |title={{transl|fa|ʿEMĀD ḤASANĪ, MĪR, ʿEMĀD-AL-MOLK}} |first=Kambiz |last=Eslami |original-date=December 15, 1998 |date=December 4, 2012 |volume=VIII, Fasc. 4, |pages=382-385 |url=https://iranicaonline.org/articles/emad-hasani-mir |accessdate=2020-11-21 }}</ref>。
 
イランを中心とした西南アジアにとっては戦乱の世紀であった18世紀、ナスターリーグ体を使った書道は低調であったが、19世紀後半になると[[ミールザー・モハンマドレザー・カルホル]]のようなすぐれた書家が現れ、ペルシア書道はふたたび盛んになった{{r|Yusofi1990}}。
 
19世紀に[[リトグラフ]]が中東に移入されると、イランやインド方面などでは特に古典テキストの刊行される場合、活字以外に書家が石版などにナスタアリーク体で校訂したテキスト本文を書写したものが流通した。イランではさらにナスタアリーク体もつの曲線美や線の緩急を強調した{{仮リンク|シャキャステ・ナスタアリーク体|en|Shikasta Nastaʿlīq}}と呼ばれる書体が書道や[[書簡]]に用いられている。