「福地泡介」の版間の差分

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在学中に商事会社に就職し、早大を中退<ref name="mineshima"/>。サラリーマン生活をしながら漫画の持ち込み活動を続け、[[東京スポーツ]]や雑誌『[[美しい十代 (1959年の雑誌)|美しい十代]]』『[[漫画サンデー|週刊漫画サンデー]]』『[[週刊漫画TIMES]]』などに作品を描く。[[1962年]]にプロ漫画家として独立<ref name="koto1"/><ref name="koto2"/>。1966年4月、園山とともに「[[漫画集団]]」に入団(同期入団に[[多田ヒロシ]]、[[水野良太郎]]ら)<ref>漫画集団(編)『漫画集団漫画集』(グラフィック社、1972年)p.29</ref>。
 
[[1966年]]より『漫画サンデー』に連載した『ドボン氏』<ref name="mineshima"/>で注目され、人気を得るかたわら、趣味の[[麻雀]]の腕を磨き、1975年雑誌『[[週刊大衆]]』主催の麻雀名人戦で[[古川凱章]]、[[三遊亭圓楽|三遊亭圓楽 (5代目)]]らを相手に第6期名人になり、翌年防衛、初の2期連続名人となった<ref name="mineshima"/>。このことで雀士として著名になり、麻雀の攻略法に関連する書籍を複数上梓したほか、麻雀に関するテレビ番組の出演をきっかけに、テレビタレントとしても活動した<ref name="mineshima"/>。
 
1995年1月、[[肺炎]]のため57歳で急逝。[[1985年]]から[[日本経済新聞]]で連載中だった『[[ドーモ君 (福地泡介の漫画)|ドーモ君]]』はそのまま終了となった。日本経済新聞では『ドーモ君』終了以降、社会面に4コマ漫画を設けていない。