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[[ファイル:Shinori20140604173914-02.jpg|サムネイル|250px|右|曲輪の遺構]]
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'''志苔館'''(しのりたて)は、[[北海道]][[函館市]]に所在する中世城館跡([[日本の城]])。[[小林氏]]によって築かれたとされる[[道南十二館]]のひとつ。国の[[史跡]]に指定されている。
[[1983年]]から[[1985年]]にかけて函館市教育委員会によって[[発掘調査]]が行われた。
 
館跡は、自然地形を活かし、四方に[[土塁]]と[[薬研]]または箱薬研状の[[空堀]]が巡らされ、全体でほぼ長方形の形状を呈している。内部は東西約70-80メートル、南北約50-65メートルで、約4,100平方メートルの広さがあり、[[曲輪]](くるわ)の内部では[[掘立柱建物]]跡や[[井戸]]が確認されている。土塁の高さは、北側で約4.0-4.5メートル、南側で約1.0-1.5メートルであり、土塁の外側にあたる北側と西側には幅約5-10メートルの空堀が設けられ、最も深い所で約3.5メートルの深さをもつ。
 
[[発掘調査]]では、[[15世紀]]前半ごろを主体とする[[青磁]]・[[白磁]]・[[珠洲焼]]・[[越前焼]]・[[古瀬戸様式|古瀬戸]]などの[[陶磁器]]が出土している。これらの[[遺物]]の年代は『[[新羅之記録]]』に記された[[長禄]]元年の[[コシャマインの戦い]]における志苔館陥落の時期([[1457年]])と矛盾しない。
 
== 中国銭の大量出土 ==
[[1968年]]、志苔館の南西方向100メートル地点から、埋納されたと推定される[[越前焼]]、[[珠洲焼]]の大甕3個の中より計38万7,514枚{{refnest|group="釈"|古銭の枚数について、文化庁の「国指定文化財等データベース」には「374,435枚」とある<ref name=DB2>{{国指定文化財等データベース|201|10603|北海道志海苔中世遺構出土銭}}</ref>が、「387,514枚」が正確な枚数。平成24年9月6日文部科学省告示第138号でが変更されている。}}におよぶ、主として中国の[[銅銭]]が出土している。これは日本国内で1か所から発見された古銭としては最大級の量である。「北海道志海苔中世遺構出土銭」として国の[[重要文化財]](考古資料)に指定され<ref name=DB2 />、[[市立函館博物館]]に所蔵されている。
 
== 所在地 ==
*[[函館バス]]下海岸線(7・79・97系統)「志海苔」停留所下車。(徒歩約5分)
「湯倉神社前」停留所までは、[[函館市企業局交通部|函館市電]]湯の川線([[湯の川停留場]]乗継)も利用可能。
 
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[北海道・東北の史跡一覧]]
* [[道南十二館]]
 
==脚注==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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==外部リンク==