「西郷隆盛」の版間の差分

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*[[板垣退助]]
**「維新の三傑といって、西郷、木戸、大久保と三人をならべていうが、なかなかどうしてそんなものではない。西郷と木戸、大久保の間には、雫が幾つあるか分らぬ。西郷、その次に○○○○といくら雫があるか知れないので、木戸や大久保とは、まるで算盤のケタが違う」
**「西郷隆盛は人の虚に乗じて事を行うがごとき卑劣なる人物にあらず。公明正大なる人物にして、策といい、略というがごときはその最も忌む所。磊々落々、日月の皎然たるは、彼の平生の襟度なり。ただその公明正大、寸毫も私曲なかりしがために、かえって他の権略の乗ずる所と為り、その晩年の失敗を招けるのみ」<ref>徳富蘇峰『明治三傑』P523</ref>
**「いやしくも西郷をして利害一辺の人たらしめんや。征韓論破裂の当時、直ちに事を腕力に訴えて最後の処断を執りしやも測るべからず。当時、もし予にして西郷と力を協せてこれを決行せんや、薩土の兵力は予と西郷の指揮に動くが故に、政府を守る者はただ長兵あるに過ぎず。為に事を成就し得たるや必せり。然れども西郷は人の虚に乗じて事を行うが如き卑劣なる人物に非ず。寧ろ退いて鹿児島に帰り、さらに堂々の軍を起こしてこれを行なわんとういうが如き公明正大の人物にして、策というが如きはその尤も忌む所、磊々落々日月の皎然たるは彼の平生の襟度なりし也。ただその公明正大、寸毫も私曲なかりしが為に、却って他の権略の乗ずる所となり、その晩年の失敗を招けるのみ。而も彼の短所は同時に彼の長所にして、これが為に毫も西郷の大人物たるを損ぜざるのみならず、却って彼をして群小の上に超然として、一代の渇仰の大人物たらしめたり。かくの如くにして西郷は極めて真面目なる征韓論者にして、その為す所には時として満幅の稚気あるも、寸毫も権謀術数を弄せし痕跡を見ざる也。これを以て西郷を指して島津氏との軋轢の為に朝鮮問題を利用して隠遁するが如き権数の人と為すは、深く彼を識らざる者なりと言わざるべからず」<ref>『西郷南洲と予の関係』</ref>