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アレオビンドゥスの父アナスタシウスは東ローマ皇帝[[アナスタシウス1世]]の姪の孫で、同名の父(アナスタシウス1世の姪の息子)と皇帝[[ユスティニアヌス1世]]の皇后[[テオドラ]]の私生児の1人テオドラとの間に生まれた。なお、アレオビンドゥスの父アナスタシウスは最初、東ローマの将軍[[ベリサリウス]]とその妻アントニナ(495年頃 - 565年以後)の娘ヨアンニナと540年代(おそらく、542年から544年の間)に結婚していたが、[[549年]]の初め頃にアントニナによって離婚させられた。二人の間に子供は確認できない。
 
アレオビンドゥスの母ユリアナの父はアニキウス・プロブス・ミノール(495年頃- 525年以降)でアニキウス・プロブス・ミノールの父はアニキウス・オリブリオス([[470]]頃不明 - [[504年]]頃までは存命、[[西ローマ帝国]]皇帝[[オリブリオス]](オリュブリウス)の弟アニキウス・プロブス([[435年]] - 没年不明)の息子)であった。ユリアナの母の名はプロバ([[510ヴァ(510]]頃 - 没年不明)でその父母はアニキウス・オリブリス・ミノール(小オリブリオス、502年頃存命)とアナスタシウス1世の兄弟パウルスの娘エイレーネーである。更に小オリブリオスの父はフラウィウス・アレオビンドゥス・ダガライフス([[460年]] - [[512年]]。将軍[[アスパル]]孫)で母はアニキア・ユリアナ(462年頃 - 527/528年)で、アニキア・ユリアナの父は西ローマ帝国皇帝オリブリオス(オリュブリウスとも。430(431年頃? - 472年)で、母はガッラ・プラキディア(439年~443年 - 472年以降)
ガッラ・プラキディアは西ローマ帝国皇帝[[ウァレンティニアヌス3世]]とその皇后[[リキニア・エウドクシア]]の次女であった。
 
以上の様にアルデバルトの系譜を遡ると[[テオドシウス朝]]と帝国末期の有力貴族アニキア家(西ローマ皇帝オリブリオスはこの一族の出身で、その5代前の皇帝[[ペトロニウス・マクシムス]]も同様。一説にペトロニウス・マクシムスとオリブリオスは実の父子関係にあるとも。親戚関係にあることは確実ではある)に繋がる。