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[[画像ファイル:Hira_mağarası.jpg|right|thumb|190px400px|ムハンマドが初めて神の啓示をうけたヒラー山の洞窟]]
'''ヒラー山'''(ヒラーさん)または'''ヒラーの洞窟'''(ヒラーのどうくつ)({{lang-en|Hira}}、{{lang-ar|حراء}})とは、[[サウジアラビア]]の[[マッカ]](メッカ)の郊外、北東約5キロメートルの地点にそびえる岩山。頂上の南西側にある洞窟は、[[預言者]][[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ]](ムハンマド、マホメット)に対し、神による最初の[[啓示]]が下されたところとして知られる。
 
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[[ムハンマド]]の言行録『[[ハディース]]』によれば、[[アラビア半島]]の商業都市マッカで[[クライシュ族]]の[[ハーシム家]]に生まれたムハンマドは、父を誕生前に、6歳のころ母も失い、祖父[[アブドゥルムッタリブ]]、つづいて叔父[[アブー=ターリブ]]の庇護のもと成長した。成長後は他の一族の者たちと同様に商人となって[[歴史的シリア|シリア]]への[[キャラバン|隊商交易]]に従事した。25歳の頃、クライシュ族出身の富裕な女商人[[ハディージャ・ビント・フワイリド]]にその温和で誠実な人柄を認められ、15歳年長の未亡人であり彼の雇い主でもあった彼女と結婚した。ムハンマドはハディージャとの間に2男4女をもうけたが、男子は2人とも夭逝したという。
 
結婚後のムハンマドはマッカの商人として不自由のない生活を送り、暇があるとマッカ郊外のヒラー山に登り何日も洞窟にこもって瞑想した。[[ラマダーン|ラマダーン月]](第9月)27日(西暦[[610年]][[8月19日]])、40歳を越えたムハンマドがヒラー山で[[瞑想]]にふけっていると、何者かによって身体が締め付けられ、「読め」と命じられる体験をする<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%BC%5B%E5%B1%B1%5D-1401472 コトバンク「ヒラー(山)」]</ref>。ムハンマドは「読めない」と3度答えるが、そのたびに身体に天使が覆いかぶさり息苦しくなると放して「読め」と命じる。それは、大天使[[ガブリエル|ジブリール]]([[ガブリエル]])がムハンマドに[[唯一神]]([[アッラーフ]])の啓示を「読め」と命じたもの([[クルアーン]]第96「凝結章」1節-5節)だった。
 
ムハンマドは困惑し、何かに取り憑かれたのではないかという恐怖に駆られたが、ハディージャによって長衣に包まれて恐怖が鎮まると、洞窟でのできごとをハディージャに話した。ハディージャはムハンマドを励まし、彼女の従兄弟で[[ネストリウス派]]の[[キリスト教]]修道僧だった[[ワラカ・イブン・ナウファル]]に相談したところ、ナウファルは、ムハンマドのように神の声を聞いた者は、昔から何人かおり、[[アブラハム|イブラーヒーム]](アブラハム)、[[ノア (聖書) |ヌーフ]](ノア)、[[モーセ|ムーサー]](モーセ)、[[イエス・キリスト|イーサー]](イエス)など「[[預言者]]」と呼ばれる人びとは、同様の経験をしたことを教える。盲目であったナウファルはまた、ムハンマドのような体験をした者で周囲に敵対されなかった者はいないと告げた。その後、ナウファルは亡くなり、しばらく啓示も途切れたが、再び神の啓示は次々とムハンマドに下された。
 
こうして預言者としての自覚に目覚めたムハンマドは、ハディージャや従兄弟の[[アリー・イブン・アビー=ターリブ]](養父アブー=ターリブの子でのちの第4代[[正統カリフ]])など近親の者たち、友人の[[アブー=バクル]](のちの初代正統カリフ)などに、彼に下った啓示の教えを説いた<ref name="Muḥammad">[https://kotobank.jp/word/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89-140728 コトバンク「ムハンマド」]</ref>。[[イスラーム教]]のはじまりである<ref name="Muḥammad" />
 
ムハンマドがヒラーの洞窟で初めて啓示を受けた夜のことを、イスラーム教では「'''力の夜'''」(みいつの夜、ライラトゥ・ル・カドル)と呼んでいる。クルアーンには、「力の夜(みいつの夜)は、千月よりも優る」(第97「みいつ章」3節)と記されている。
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== ヒラー山の巡礼 ==
啓示を受けた洞窟の岩盤にその旨が記載されている。また、ヒラー山は[[ムスリム]]の[[巡礼]]者がきそって訪れる場所であるが、山の入口には、「この山は本来は神聖視されるべきものではない」という断りが記されている。
 
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*野町和嘉『カラー版 メッカ―聖地の素顔』[[岩波書店]]<[[岩波新書]]>、2002.9、ISBN 4004308070
*蒲生礼一『イスラーム』岩波書店<岩波新書>、1958.12、ISBN 4-00-412164-7
 
== 関連項目 ==
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*[[クルアーン]]
*[[ハディース]]
 
== 参考文献 ==
*野町和嘉『カラー版 メッカ―聖地の素顔』[[岩波書店]]<[[岩波新書]]>、2002.9、ISBN 4004308070
*蒲生礼一『イスラーム』岩波書店<岩波新書>、1958.12、ISBN 4-00-412164-7
 
== 外部リンク ==
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[[Category:メッカ]]
[[Category:アジアの山]]