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|位置画像説明 = ヴァルダナ朝の版図
|公用語 =
|首都 = カーニャクブジャ([[カナウジ]]
|元首等肩書 =
|元首等年代始1 = [[606年]]
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|注記 =
}}
'''ヴァルダナ朝'''(Vardhana)または'''プシュヤブーティ朝'''(Pusyabhuti)は、[[7世紀]]前半、[[ハルシャ・ヴァルダナ]]が創始した[[古代]][[北インド]]最後の統一王朝で、[[首都]]は[[カナウジ]](Kanauj、曲女城)
 
[[首都]]は当初は現在の{{仮リンク|テインザー|en|Thanesar}}(''Thanesar''、古代名は''Sthanvishvara''、[[ハリヤーナー州]])に置かれていたが、最終的にはガンジス川の上流のカーニャクブジャ(''Kanyakubja''、現在の[[カナウジ]](''Kanauj'')、[[ウッタル・プラデーシュ州]])に置かれた<ref>{{コトバンク|ヴァルダナ朝}}</ref>{{refnest|group="注釈"|カナウジの古名カーニャ・クブジャは「[[せむし]]の娘たちの町」という意味であり、ある[[リシ]](仙人)が昔、邪推によって立腹し、王の友人の娘を呪詛して、[[超能力]]によってせむし([[くる病]])にしてしまったという伝説に因んでいる<ref name="tsukamoto158">[[#塚本|塚本(1974)pp.158-160]]</ref>。633年に王都を訪れた玄奘は、この地を「曲女城」と訳した<ref name="tsukamoto158" />。}}。
 
== 概要 ==
[[画像ファイル:Indiahills.png|220px|right|thumb|インドの丘陵と高原——[[北インド]]と[[南インド]]を分けるヴィンディヤ山脈]]
 
=== 前史 ===
[[4世紀]]前半に起こって同世紀末から[[5世紀]]前葉にかけて全盛期をむかえた[[グプタ朝]]であったが、[[550年]]ころに5世紀中葉以降「白い[[フン族]]」<ref>と呼ばれた遊牧民[[エフタル]]([[インド・エフタル]])こと。勢力{{refnest|group="注釈"|「白いフン族」は中国では「白匈奴」の名で記録された。[[イラン人|イラン系]]説が有力だが、[[トルコ人|テュルク系]]説もある。}}の度重なる侵略を受けた</ref name="tsukamoto156">と呼ばれた遊牧民[[エフタル#塚本|塚本(1974)pp.156-158]]([[イ</ref>。グプタ朝第5代の王{{仮リド・エフク|スカンダグプル]]|en|Skandagupta}}(位455年 - 467年は、こ侵入軍を一度は撃退したが、その後も侵略は波状的継続した<ref name="tsukamoto156" />。6世紀に入ると「白いフン族」の部隊長ミヒラクラの暴虐が知られるうになた<ref name="tsukamoto156" />。6世紀中ごろ、疲弊したグプタ朝が滅亡すると、[[北インド]]は分裂状態に陥った<ref name="tsukamoto156" />
 
=== 建国 ===
{{Seealso|玄奘三蔵|大唐西域記}}
そうグプタ文化の秩序を回復したなかのは、勇敢な武将であった[[ハルシャ・ヴァルダナ]](戒日王)が現れてであった<ref name="tsukamoto156" />。ハルシャは、[[606年]]頃に即位し、{{仮リンク|マウカリ朝|en|Maukhari}}等を併合して混乱のうちにあった[[北インド]]の大部分を統一し、[[ヴィンディヤ山脈]]''Vindhyas'' の北側一帯を支配した<ref name="tsukamoto156" />
 
文武両面に秀でた名君のひとり<ref name="life">[[#シュルバーグ|シュルバーグ(1973)]]</ref>であったハルシャ王は[[仏教]]に帰依し、また、[[ヒンドゥー教]]など諸宗教を保護した<ref name="tsukamoto158" />。ハルシャ治世期は、国内は平和で栄え、インド文芸史においても重要な時期にあたっている<ref name="kotobank" /><ref name="karashima244">[[#辛島|辛島(1991)p.244]]</ref>。唐との間に使節の交換もあった<ref name="kotobank" />。
そうしたなか、勇敢な武将であった[[ハルシャ・ヴァルダナ]](戒日王)が現れて[[606年]]頃に即位し、{{仮リンク|マウカリ朝|en|Maukhari}}等を併合して混乱のうちにあった[[北インド]]の大部分を統一し、[[ヴィンディヤ山脈]]''Vindhyas'' の北側一帯を支配した。
 
文武両面に秀でた名君ひとり<ref name=life>ルシュルバーグ(1973)</ref>であったハルシャ王は[[仏教]]に帰依し、また、[[ヒンドゥー教]]など諸宗教を保護した。[[玄奘]]は、[[貞観 (唐)|貞観]]3年([[629年]])から貞観19年([[645年]])にかけてヴァルダナ朝を訪れ、『[[大唐西域記]]』において、首都カナウジの繁栄ぶりや当時のインドの人びとの正直で誇り高い姿を絶賛している<ref>『大唐西域記』巻2-10< name="tsukamoto158" /ref>。
 
=== 分裂期 ===
[[647年]]頃、ハルシャ王が後継者を残さずに没すると、{{仮リンク|アラナシュ|zh|阿羅那順}}(阿羅那順)が王位を簒奪した<ref name="tsukamoto158" />。この混乱で唐の使節[[王玄策]]がアラナシュに捕らえられると、[[吐蕃]]の[[ソンツェン・ガンポ]]と[[リッチャヴィ王朝]](泥婆羅)の[[ナレーンドラ・デーヴァ]]が、チベット兵・ネパール兵合わせて8,000人の兵でインドに侵攻し、王玄策を救出した<ref name="tsukamoto158" />
 
アラナシュが捕虜として唐に連行されると、王国は再び急速に分裂していった<ref name="kotobank" /><ref name="tsukamoto158" />。新たな分裂の時代は「しのぎをけずりあう諸王朝と、混じり合う諸民族をはっきりとは区別できない」時代<ref name=life/>というべき様相を呈した<ref name="karashima244" />。侵略諸勢力が北西部の山道よりインドに殺到し、[[ヒンドスタン平原]]は再び群雄割拠の状態に陥ったのである。これを「[[ラージプート]]時代」と称している<ref name="karashima244" />
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[応地利明]]|editor=辛島昇(監修)|year=1992|month=11|chapter=第3章 社会|title=世界の歴史と文化 インド|publisher=[[新潮社]]|isbn=4-10--601836-5|ref=応地}}
* {{Cite book|和書|author=[[辛島昇]]|year=1991|month=8|chapter=言語と民族のるつぼ|title=インドの顔|publisher=[[河出書房新社]]|series=生活の世界歴史5|isbn=4-309-47215-X|ref=辛島}}
*[[ {{Cite book|和書|editor=辛島昇]][[前田専学]]・江島惠教ら監修|year=1992|month=10|title=南アジアを知る事典|publisher=[[平凡社]]、1992.10、ISBN |isbn=4-582-12634-0|ref=知る事典}}
* {{Cite book|和書|author=[[塚本善隆]]|year=1974|month=12|title=世界の歴史4 唐とインド|publisher=[[中央公論社]]|series=中公文庫|isbn=978-4122001695|ref=塚本}}
* {{Cite book|和書|author=ルシル・シュルバーグ(原著)|editor=タイム社ライフブックス編集部、日本語版:座右宝刊行会(編集)year=1973|month=|title=ライフ人間世界史18 インド - "''Historic India''"|publisher=タイム・ライフ・インターナショナル|asin=B000J9HYOM|ref=シュルバーグ}}
 
== 関連項目 ==
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* [[パーラ朝]]
* [[プラティーハーラ朝]]
 
== 参考文献 ==
*[[辛島昇]]・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』[[平凡社]]、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
*[[応地利明]]「第3章 社会」辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』[[新潮社]]、1992.11、ISBN 4-10-601836-5
*ルシル・シュルバーグ原著『ライフ人間世界史18 インド—''Historic India''』タイム・ライフ・ブックス(日本語版編集:座右宝刊行会)、1973
 
{{インドの王朝}}
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[[Category:インドの王朝]]