「エリク14世 (スウェーデン王)」の版間の差分

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この年代のあいだ、彼の狂気は悪化した。すなわち、彼の治世はいっそう暴力による支配が特徴となり、それらの中には[[1566年]]のストゥーレ家の一族の殺害も含まれていた。[[1568年]]、彼は権力を掌握したヨハンによって廃され、幽閉された。エリクが顧問として最も信頼を置いた[[ヨラン・ペッション]](Jöran Persson)は、エリク14世の治世に彼が貴族に対してとった行動の責任をとり、ヨハン3世即位後、まもなく[[処刑]]された。
 
エリク14世の最期は獄死であった。言い伝えによれば、彼の最後の食事は毒の入った豆のスープであったという。彼の兄弟ヨハン3世とスウェーデン貴族<!--Bengt Bengtsson Gylta-->ベングト・ベングトソン・ギュルタによって記された文書には、誰かがエリクを逃がせば釈放したなら、毒殺の事前許可を受けた獄吏が殺すことになっていたという。彼の遺体は後に発掘され、法医学的分析で[[ヒ素]]による毒殺の証拠が明らかになった。
 
== 子女 ==