「南満洲鉄道の歴史」の版間の差分

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=== ポーツマス条約と桂・ハリマン協定 ===
{{see also|ポーツマス条約|桂・ハリマン協定}}
[[日露戦争]]の勝利により、日本は[[旅順]]~[[新京]](現在の[[長春]])郊外寛城子間の鉄道([[南満洲鉄道]])と、これに付随する[[炭坑]]の利権を[[ロシア帝国|ロシア]]より獲得し、そのことは[[1905年]]([[明治]]38年、[[乙巳]](きのと・へび))<ref>http://www.linksyu.com/nengo.htm</ref>[[9月5日]]調印の[[ポーツマス条約]]にも明文化された<ref name="sumiya382">[[#隅谷|隅谷(1974)pp.382-384]]</ref>。ポーツマス会議での[[小村寿太郎]]外相の交渉相手であった[[セルゲイ・ウィッテ]]は、ロシア帝国蔵相として[[シベリア鉄道]]および東清鉄道の建設を強力に推し進めた人物であった<ref name="wada307">[[#和田|和田(1994)pp.307-308]]</ref>。会議において日本側は当初、[[哈大線|南満州支線]]の[[旅順]]~[[哈爾浜]]間の譲渡を望んだが、ウィッテは日本軍が実効支配する[[旅順]]~[[新京]](現在の[[長春]])間に限って同意した''<ref name="yokote191">[[#横手|横手(2007)pp.191-194]]</ref>''<ref name="inoue96">[[#井上|井上(1990)pp.96-101]]</ref>。日本側はその代償として、ロシアが清国より既に得ていた[[吉林市|吉林]]~[[長春市|長春]]間鉄道(吉長鉄道)の敷設権の譲渡を受けた<ref name="inoue96" />{{refnest|group="注釈"|ポーツマス条約の第6条は長春以南の東清鉄道南支線の[[ロシア帝国|ロシア]]から日本に譲渡すること、第7条は両国の満洲における鉄道を商工業目的のために限って使用し、軍略のために用いないこと、第8条は両国間の鉄道の接続業務について早急に別役を設けることを、それぞれ定めた<ref name="inoue96" /> → 条約本文は「[[:s:日露講和條約|日露講和條約(ウィキソース)]]」参照。}}。
 
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