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'''田中 融二'''(たなか ゆうじ、[[1926年]][[10月18日]]<ref>日外アソシエーツ人物情報</ref> - [[1998年]][[5月12日]])は、日本の[[翻訳|翻訳家]][[東京]][[千駄ヶ谷|千駄ケ谷]]生まれ<ref>日外アソシエーツ人物情報</ref>。
 
大学予科から[[海軍予備学校]]生徒となり、[[東京大空襲]]で父を、[[広島市への原子爆弾投下|広島の原爆]]で母を失い、敗戦後[[一橋大学]]卒業。
 
1952年[[日本新聞協会]]、1963年ダイヤモンド・タイムに勤務<ref>日外アソシエーツ人物情報</ref>。さまざまな職業に就きつつ翻訳をし1953年「ソビエト無銭旅行」で翻訳家としてデビュー。1957年'''沼田茂'''の名で「或る遺書」により[[文学界新人賞]]受賞。小説は翌年「鶏」を『[[文學界]]』に発表したのみで、以後翻訳家として生計を立てる。推理もの、SF、ビジネスものなど多数を翻訳、[[E・S・ガードナー]]、[[レン・デイトン]]などが多かった。
 
最後はがんを宣告され、[[北海道]][[小樽市|小樽]]で自動車に排気ガスを引き込んで自殺した。親友の[[内田庶|宮田昇]]に予告していたという(宮田『戦後「翻訳」風雲録』)
 
== 翻訳 ==
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[[Category:自殺した人物]]
[[Category:ミステリに関連する人物]]
[[Category:日本のSFに関連する人物翻訳家]]
[[Category:一橋大学出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]