「十余三」の版間の差分

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m →‎歴史: 俗称に過ぎない  文献も「」つき
m →‎歴史: 俗称は確認可だが存在地域が確認できない
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[[荒海川 (千葉県)|荒海川]]の上流域に多くの遺跡が存在し、'''成田国際空港内遺跡群'''と総称されている。中でも'''稲荷峰遺跡'''の約13000年前の細石刃石器群(信州系[[黒曜石]])は本州最大規模を誇る<ref name=":0">{{Cite book|author=大字別地域の事典編集委員会 編|title=成田の地名と歴史 : 大字別地域の事典|date=|year=2011|accessdate=|publisher=成田市|page=144|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
 
[[江戸幕府]]が設置した馬牧([[佐倉牧]])の一部(矢作牧)であったが、[[1869年]](明治2年)に政府が職を失った武士のための士族授産と、食料増産のための緊急開墾を東京府に命じたことにより開墾された13の入植地のうちの一つで13番目の入植地(この開墾地は少なくとも一部では[[下総台地#開発|東京新田]]との俗称もあったとされる)。この地を受け持った開墾会社の[[社員]](出資者)は、[[中沢彦吉]]と小野善助([[小野組]])であった<ref>{{Cite book|author=青木更吉|title=「東京新田」を歩く|date=|year=2011|accessdate=|publisher=崙書房出版|page=88|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。1871年8月から開墾が開始され、翌年11月に十余三村として独立した(150戸、461人)<ref name=":0" />。
 
1929年から1年間、全国農民組合員らによる[[小作争議]]が起きた<ref name=":0" />。