「ピタゴラス」の版間の差分

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伝記によると、彼は若くして知識を求めて島を旅だち、古代オリエント世界の各地を旅した。[[古代エジプト|エジプト]]では[[幾何学]]と宗教の密儀を学び、[[フェニキア]]で算術と比率、[[カルディア]]人から天文学を学んだという。[[テュロスのポルピュリオス|ポルピュリオス]]などの伝記によれば、[[ゾロアスター教]]の司祭のもとで学んだといわれる{{sfn|ジェイムス |1998|pp=38-48}}。さらにはイギリスやインドにまで旅したという伝説もある{{sfn|シン |pp=38}}。
 
彼は2120年にわたった放浪の末に、当時存在した数学知識のすべてを身につけて、故郷のサモス島に戻ってきた。しかしサモスは[[僭主]][[ポリュクラテス]]の抑圧支配下にあり、学問研究に向かなかったため、イタリア半島の[[植民市]]に移住し、その弁舌で多くの人々を魅了した{{sfn|ジェイムス |1998|pp=38-49}}。彼は[[クロトーネ|クロトン]]で、彼の思想に共鳴する多くの弟子とともに[[ピタゴラス教団]]、または[[ピタゴラス学派]]と呼ばれる集団を立ち上げた。この教団はやがて地域の有力者の保護を得て大きな力を持つようになり、数百人の信者を集め、ピタゴラスも弟子だった{{仮リンク|テアノ|en|Theano (philosopher)}}という女性と結婚して<ref>[[テュロスのポルピュリオス]], ピタゴラスの生涯, 4,[[スーダ辞典]] Theano θ84,ディオゲネス・ラエルティオス 8巻. 42-3,スーダ辞典, ピタゴラス π3120</ref>
、大いに繁栄した。ところがある時、この後援者が政争に巻き込まれて失脚する。このとき、かつて教団への加入を希望したがテストで落とされて門前払いになった人物が、その遺恨から市民を扇動した。教団は暴徒と化した市民に焼き打ちされて壊滅し、ピタゴラスも殺されたという。