「ジョン・パットン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
25行目:
パットンの作風は、もともと楽曲に持ち込まれた基礎となる[[グルーヴ]]感を決して失うことなく、[[モーダル・ジャズ]]や[[フリー・ジャズ]]の要素を取り込んで発展した。古典となった作品をいくつか作曲しており、主要な楽曲に《ファンキー・ママ(''Funky Mama'')》や《アロング・ケイム・ジョン(''Along Came John'')》などがある。[[1960年代]]後半には、[[ハロルド・アレクサンダー (ミュージシャン)|ハロルド・アレクサンダー]]や[[ジョージ・コールマン]]を共演者に迎えて、[[ブルーノート・レコード]]に『アンダースタンディング(''Understanding'')』や『アクセント・オン・ザ・ブルース(''Accent on the Blues'')』といった[[LP]]を録音し、いくつかの実験的な楽曲を収録した。[[ジョージ・ブレイス]]や[[ドン・ウィルカーソン]]、[[ルー・ドナルドソン]]との共演によってブルーノートに録音された初期の音源の中でも特にパットンが、ギタリストの[[グラント・グリーン]]やドラマーの[[ベン・ディクソン]]とのセッションは高く評価されている。
 
当時の[[ブルーノート・レコード]]の音楽に対する関心が再浮上してから、保管庫に収蔵されていた多くのセッションが放出されてきた。発売が実際に検討されながらも決して実現されなかった『ブルー・ジョン(''Blue John'')』のような[[LP]]や、2つのアルバム『ブーガルー(''Boogaloo'')』と『メンフィス・トゥ・ニューヨーク・スピリット(''Memphis to New York Spirit'')』がようやく日の光を見た。
 
パットンは[[1990年代]]後半まで録音を続けいて、晩年には[[日本]]や[[ヨーロッパ]]で熱心な支持者が育っており、それらの地域で演奏旅行を行い大評判となった。アメリカ内外で催されたライブは、ファンによって録音されている。ごく最近では、ジョージ・ブレイスが自身のレーベルから『イーグル・アイ・ブルース(''Eagle Eye Blues'')』を頒布した。