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マシコ・ピロ族(英語;Mashco-Piro)あるいは、マシコ・ピローは、[[ブラジル]]及び[[ペルー]]の国境付近にある[[マヌー国立公園]]内の[[アマゾン川]]流域[[ジャングル]]奥地に住むと言われる[[先住民族]]。
'''マシコ・ピロ族'''(英:Mashco-Piro)、あるいは、'''クハレーニョ'''(Cujareño<ref>{{cite web | url = https://www.peoplegroups.org/explore/GroupDetails.aspx?peid=46590 | title = CUJARENO OF PERU | publisher = International Mission Board | accessdate = 2021-01-01}}</ref>)は、[[ペルー]]南東部[[マードレ・デ・ディオス県]]にある[[マヌー国立公園]]周辺の[[ジャングル]]奥地に住むといわれる[[先住民|先住民族]]。
 
== 概要 ==
[[file:Manú_National_Park_Location.svg|200px|thumb|right|マヌー国立公園(赤)]]
ジャングルの奥地にはマシコ・ピロ族の他にも多くの先住民族がいるとされ、彼らはブラジル国内においてイゾラドと呼ばれる。
ブラジル国内におけるアマゾン奥地にいるとされる「イゾラド」と呼ばれる先住民族の1つ。太古の昔より[[アマゾン川]]流域のジャングルの奥地にて生活しておりいる[[狩猟採集社会|狩猟採集民族]]で、大昔には近隣地域にて生活していた多民族との交流等もあったと思われるが、以降数千年間にいて外部との接触を絶ったとされており、その存在については早くから知られていたものの詳細は掴めていなかった。数千年間、森の奥から出てくる事は殆どなかったと言われるが、[[1980年代]]になり、ブラジル国内に於いてアマゾン川の支流を船で航行していた者の中で、川岸付近に出てているマシコ・ピロ族と思われる民族を目撃したという情報が数多く寄せられるようになった事でその存在が明らかとなり、以降、外部から接触を試みる者が増えていった。
マシコ・ピロという呼称は最近付けられたようであり、[[2016年]][[8月]]の[[NHKスペシャル]]「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」内に於いて「我々は彼らを『マシコ・ピロ-』と呼ぶ事にした」とナレーションが入っている。
当初は付近を通る船を襲撃して農作物を奪ったり、対岸の村を襲撃して略奪したりしていたようだが、次第に積極的に外部からの接触に積極的・友好的に応じるようになっていったという。
 
=== 言語名称 ===
ブラジル国内におけるアマゾン奥地にいるとされる「イゾラド」と呼ばれる先住民族の1つ。太古の昔よりアマゾン川流域のジャングルの奥地にて生活しており、大昔には近隣地域にて生活していた多民族との交流等もあったと思われるが、以降数千年間に於いて外部との接触を絶ったとされており、その存在については早くから知られていたものの詳細は掴めていなかった。数千年間、森の奥から出てくる事は殆どなかったと言われるが、[[1980年代]]になり、ブラジル国内に於いてアマゾン川を船で航行していた者の中で、川岸付近に出て来ているマシコ・ピロ族と思われる民族を目撃したという情報が数多く寄せられるようになった事でその存在が明らかとなり、以降、外部から接触を試みる者が増えていった。
「マシコ・ピロ」の名は、1687年に[[宣教師]]が近隣の先住民ハラカムブット族に言及する際、ピロ語で「野蛮人」を意味する蔑称’’Mashchcos’’を用いており、これが初出とされる<ref>{{cite book|author=Andrew Gray|title=Indigenous rights and development: self-determination in an Amazonian community|url=https://books.google.com/books?id=438Md-URuZ4C&pg=PA140|accessdate=2021-01-01|year=1997|publisher=Berghahn Books|isbn=978-1-57181-837-9|page=140?}}</ref>。マシコ・ピロ族も意味を理解しており、この呼称を好まない<ref name=natiogeo>{{cite web|url=https://www.nationalgeographic.com/news/2015/10/151013-uncontacted-tribes-mashco-nomole-peru-amazon/ |title=An Isolated Tribe Is Emerging From Peru’s Amazonian Wilderness |author=Nadia Drake| publisher=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|National Geographic]] |date=2015-10-13|accessdate = 2021-01-01}}</ref>。
当初は付近を通る船を襲撃して農作物を奪ったり、対岸の村を襲撃して略奪したりしていたようだが、次第に積極的に外部からの接触に友好的に応じるようになっていったという。
このように、「マシコ・ピロ」は当該の部族を指して外部の人間が便宜的につけた名称である。
 
5か国にまたがるアマゾン川流域は最後に植民地化された地域であり、マシコ・ピロ族の他にも多くの先住民がいるとされ、彼らは[[ブラジル]]国内において「'''イゾラド'''([[ポルトガル語|葡]]:Indios Isolados、孤立した[[インディオ]]の意)」と呼ばれる。この語は、文明社会と接触したことがない、あっても偶発的・限定的なものに留まる先住民([[未接触部族]])を指す総称であり、特定の部族の名称ではない。
== 言語 ==
ブラジルで[[公用語]]とされる[[ポルトガル語]]とは違う独自の言語を持っているが、嘗て近隣に生存していた先住民族の言葉と共通点が多く、ブラジル本土にいたその民族の会話を習得している者によって会話が試みられた際にある程度は通じた為、最低限の意志疎通は図れる。またある時、対岸の村の住人が接触を試みようとして川を渡ったが、マシコ・ピロ族に殺された。怒った村の住民は報復の為、マシコ・ピロ族の森を襲撃、幼い少年1人を拉致し村に連れ帰った。やがて8歳になった彼は森に帰る機会を与えられたが、最終的に村に残る事を選んだという。この少年はやがて大人になり、近年、マシコ・ピロ族の血を引く者として彼らと接触を試み成功している。
 
=== 容姿言語 ===
マシコ・ピロ族は[[アラワク語族]]の一派であるピロ語の方言、マシコ・ピロ語を話し、流域に住むイネ(Yine)族などの部族と共通の言語・民族性を持つとされる。イネ族の住民によると、8割ほどの単語に共通性があるが、一部はイネ族の長老に訳してもらうという<ref name=natiogeo></ref>。
彼らは[[服]]を着ておらず、下半身は辛うじて[[蓑]]のようなもので隠しているが、男女を問わず上半身は裸である。しかし、誰かが打ち捨て流れ着いた服を拾ったのか、一部の者はその拾ったと思われる服を着ており、NHKスペシャル「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」内の映像では、取材班や調査員が服を着ていても驚く様子はなく、寧ろ「それを着てみたい」と発言するなどしており、服というもの自体は理解しており、服の着方も知っている様であった。この取材時、子供も含め、中には妊娠している女性や、嘗てジャガーに足を噛まれ、その傷跡が残っているという者もいた。しかし病院という文明は存在しないと思われる中で、彼らがどのように治療や出産を行っているのかは明かされず、未だに謎が多い。
 
=== 文化人口 ===
1998年、[[デンマーク]]に所在する[[非政府組織|NGO]]、IWGIA(International Work Group for Indigenous Affairs)は、マシコ・ピロ族の人口を100人から250人程度と見積もっているが<ref >{{cite book|author1=Diana Vinding|title=Indigenous women: the right to a voice|url=https://books.google.com/books?id=9EfC3CyRpRwC&pg=PA40|accessdate=2021-01-01|year=1998|publisher=International Work Group for Indigenous Affairs (IWGIA) | isbn=978-87-984110-5-5|pages=40?}}</ref>、現在では300人、あるいは600人から800人とする記事もあり、正確な人数はわかっていない。
現在までに分かっているのは、彼らにも独自の名前があるという事のみである。彼らの文化圏では現地の言葉で「猿」や「啄木鳥」、「毒蜘蛛」など、彼らの普段の生活で見かけるものの呼称をそのまま名前として付けているようである。それ以外の詳しい生活実態については不明な部分が多いが、これらの傾向から少なくとも森に棲む動植物についても多少は知っている可能性がある。
 
バナナを好むようで、上記NHKスペシャルでの放送時、取材班が同行した船に乗っていた調査員に対し度々バナナを要求していた。
マシコ・ピロ族には独自の掟があり、他の部族から女性や子供を拉致しているのではないかと推察されている<ref name=guardian1></ref>。
また、完全に外部との接触を断っていた訳ではないようで、実は近隣の他の先住民族とは多少なりとも面識があった様であり、2020年11月には近隣に住む別の先住民族の一家が矢によって殺害されるという事件が起きたが、使われた矢の形状がマシコ・ピロ族の物と同じであった事から、先祖代々より何らかの接触があるものと思われ、その過程で起きた民族間での対立が今も続いているのではないかとされた。
 
== 来歴 ==
19世紀ごろから南米では[[ラテックス|天然ゴム]]採取を目的とした大規模な開拓が始まり(ゴム・ブーム)、先住民は土地を追われ、入植者に[[奴隷]]労働力として搾取されるようになった。1894年、マヌー川流域のマシコ・ピロ族の多くは、いわゆる’’ゴム貴族’’(Rubber Baron、ゴム園開発により巨利を得た入植者)の[[:en:Carlos_Fitzcarrald|カルロス・フィッツカラルド]]が率いる[[私兵]]集団によって制圧され、生存者は上流のジャングル奥地に撤退した<ref>{{cite web | url = http://newswatch.nationalgeographic.com/2012/01/31/mounting-drama-for-uncontacted-tribes/ | title = Mounting Drama for Uncontacted Tribes | author = Scott Wallace | publisher = National Geographic | date = 31 January 2012 | accessdate = 2021-01-01}}</ref>。
 
1976年、マシコ・ピロ族と対岸の住民が遭遇し(報復のための武力衝突とも伝えられる)、逃げ遅れたマシコ・ピロ族の少年が近隣の集落に迎えられる。8歳のとき、元のマシコ・ピロ族の集落へ帰ることも許されたが、同化する道を選択した<ref name=natiogeo></ref>。
 
1980年代中盤には、伐採業者が[[マホガニー]]などの木材を求めて進出したことで、マシコ・ピロ族との衝突が発生するようになる<ref name=guardian1>{{cite web | url= https://www.theguardian.com/world/2013/aug/20/peru-appearance-isolated-mascho-piro-tribe | title = Peru: alarm over appearance of isolated Mashco-Piro tribe | publisher = [[ガーディアン|The Guardian]] | date = 2013-08-20 | accessdate = 2021-01-01}}</ref>。
 
21世紀に入ると、マシコ・ピロ族の目撃が増加する。1999年にマシコ・ピロ族と遭遇した経験を持つブラジルの人類学者グレン・シェパードは、周辺の資源探査を目的とした航空機の低空飛行や違法伐採などが目撃情報増加の一因であるとしている<ref name=natiogeo></ref>。
 
2007年9月、環境学者のチームは、ペルー・ブラジル国境に程近いラス・ピエドラス川流域で20人ほどのマシコ・ピロ族を上空から撮影した。これは乾季になると川辺に[[シュロ]]の葉で小屋を建て、漁業をしているものと考えられている<ref>
{{cite web | url= https://www.theguardian.com/world/2007/oct/03/environment.rorycarroll | title = Sighting of Amazon group bolsters environmentalist case | publisher = [[ガーディアン|The Guardian]] | date = 2007-10-03 | accessdate = 2021-01-01}}</ref>。また、雨季には熱帯雨林に戻り、似たような小屋を建てて生活していることが1980年代の調査で確認されている<ref>Wade, Terry, and Marco Aquino. "[https://www.reuters.com/article/newsOne/idUSN2838427020070928 Little-known Indian tribe spotted in Peru's Amazon]". ''[[ロイター|Reuters]]''. 2007-09-28.</ref>。
 
2012年、[[イギリス]]のNGO[[:en:Survival_International|サバイバル・インターナショナル]]は、スペイン地理学会の考古学者ディエゴ・コルティーホが[[マドレ・デ・ディオス川]]流域における[[ペトログリフ]]の調査中にマシコ・ピロ族の撮影に成功したとして写真を公開した 。しかし、[[ケープタウン大学]]の研究者ジャン=ポール・ファン・ベレは、この写真は3年前に自身が撮影したものの剽窃であると主張した。ファン・ベレによると、こうした人々への認知を高めることによって現代医療の恩恵を受けられずにいる先住民の助けになればとの思いから、この写真を現地ガイドに手渡したという。コルティーホは、この写真をガイドから受け取ったことを認め、ファン・ベレに謝罪した<ref>{{cite web|author1=Chelsea Geach|title=Prof’s pics plagiarised around the world|url=http://www.iol.co.za/news/south-africa/western-cape/prof-s-pics-plagiarised-around-the-world-1.1732565|website=IOL news|publisher=Independent Online|accessdate=2021-01-01|date=8 August 2015}}</ref>。
なお、この写真を持っていた現地ガイドは、マシコ・ピロ族と交流を持ち、道具や食料を渡していた。しかし、援助を停止するとマシコ・ピロ族に狙われるようになり、2011年11月に3度目の襲撃を受けて殺害されている<ref name=natiogeo></ref><ref name=guardian1></ref>。
 
2013年8月、ペルーの[[環境保護団体]]AIDESEP(Asociacion Interetnica de Desarrollo de la Selva Peruana)は近隣の村に食料を要求するマシコ・ピロ族の映像を公開した([[#外部リンク]]<ref>Survival Internationalによる転載(AIDESEP版はリンク切れ)</ref>)<ref>{{cite web|url=https://www.bbc.co.uk/news/world-latin-america-23766765 |title=Peru's isolated Mashco-Piro tribe 'asks for food'|publisher=[[英国放送協会|BBC News]] |date=2013-08-19|accessdate = 2021-01-01}}</ref>。
 
ペルー政府は、マシコ・ピロ族が出没するマドレ・デ・ディオス川を見渡せる高台に監視小屋を建て、[[自然保護官]]を常駐させている。この監視小屋は、近年マシコ・ピロ族の襲撃を受けた2つの集落の間にあり、集落には無線機を貸与し、自然保護官が周辺のパトロールをしているほか、マシコ・ピロ族との継続的な接触を図っている<ref name=natiogeo></ref>。
 
== マシコ・ピロ族を扱った作品 ==
*映像作品
**『イゾラド ~森の果て 未知の人々~』 - NHK DVD
 
==脚注==
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
{{Socsci-stub}}
* [[スペインによるアメリカ大陸の植民地化]]
* [[ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化]]
* [[アメリカ州の先住民族]]
 
== 外部リンク ==
* [https://www.youtube.com/watch?v=FuK4pE8PkXk 2013年に撮影された映像] - Survival International [[YouTube]]チャンネル
 
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