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m →‎経歴・事績: 学術会議の存廃議論に資するため貢献されたことを振り返る必要あり。
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さらに1950年代半ばになって[[核融合]]研究の重要性が認識されるや、[[湯川秀樹]]、[[嵯峨根遼吉]]らと共に研究体制の議論を進めた。そしてAB論争の後、1961年に[[名古屋大学]]にプラズマ研究所が設立されるや自身が大阪大学から名古屋大学に移って同研究所の初代所長に就任し、研究所の整備に努め研究推進を図るとともに、客員研究部門の創始など「全国大学共同利用研究所」運営の理想を追求した。
 
1973年に名古屋大学を定年退官したあとは、[[日本学術会議]]を活躍の場として研究環境の整備に力を致した。特に1977年から1982年にかけて同会議会長に就任し、国内の研究推進と並行して、科学者の国際交流に尽力した。そして1983年、[[第13回参議院議員通常選挙]]比例代表区に[[公明党]]・国民会議から名簿順位第1位で立候補し当選。1989年まで1期務めた。
 
また東西[[冷戦]]の時代から日ソの学術交流に尽力し、1991年の[[ソビエト連邦]]崩壊によって同国の科学者が窮乏の淵に陥った時には各方面に呼びかけてその救援活動を行った。