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'''レオン・フレデリック・ギュスターヴ・ドラクロワ'''(Léon Fréderic Gustave Delacroix, [[1867年]][[12月27日]] - [[1929年]][[10月15日]])は、[[ベルギー]]の[[政治家]]。[[1918年]]から[[1920年]]まで首相を務めた。
[[ブリュッセル]]の
[[第一次世界大戦]]の復興の最中の[[1918年]]、国王[[アルベール1世 (ベルギー王)|アルベール1世]]に指名されて、カトリック党、自由党、労働党の3党による挙国一致内閣の首班となり、[[首相]]に就任した。
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それまでベルギーでは、[[政府|行政府]]の首長のことをChef de cabinet([[フランス語]])と呼んでおり、首相(フランス語:Premiers ministres, [[オランダ語]]:Premier)という肩書が使われたのはドラクロワが初めてである。
ドラクロワは[[財務大臣]]を兼任し、[[1920年]][[8月]]から[[9月]]まで[[外務大臣]]も兼任した。
ドラクロワ内閣の下では初の[[普通選挙|男子普通選挙]]が実施され、所得税法、1日8時間労働を定めた労働法、[[酒|酒類]]の販売制限法などが施行された。 首相退任後は1920年から[[1929年]]まで、[[パリ]]に設置された賠償委員会のベルギー代表を務め、1929年10月15日に[[ドイツ]]の[[バーデン=バーデン]]で死去した。
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