「スピードヒーロー」の版間の差分

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1982年、ロングエース産駒として誕生。母はエスティメジロだった。1984年、3歳でのデビューを見越して11月の[[京都競馬場]]の[[新馬|新馬戦]]に登録したが出走取消、デビューは翌年に持ち越された。
 
4歳となった1985年3月、今度は[[阪神競馬場]]で2度目の登録となる新馬戦に登録、初出走を果たしたが2着となった。当時は'''新馬戦で勝利出来なかった馬は同一競馬場の同一開催の新馬戦のみ1回限り再複数回出走可能という特例を利用出来たため'''(いわゆる「折り返の新馬」)、同じ阪神競馬場の新馬戦に再登録、勝利して以降、条件戦を連勝してオープンクラスへと昇格した。春はクラシックには出走せず[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]へ回るが10着で休養に入る。再始動した秋は休養明け初戦となった[[神戸新聞杯]]を制した。余勢を駆って出走した続く[[京都新聞杯]]は2着、[[菊花賞]]は9着となり8戦4勝で4歳戦を終えた。尚、この年を以て2歳上の全兄ワイドオーが引退した為、あと1歩の所で兄弟対決は実現しなかった。
 
1986年、古馬となったスピードヒーローは[[京都金杯|金杯(西)]]から始動、いきなり2着に入るも続く[[京都記念]]は8着、[[大阪杯|サンケイ大阪杯]]は4着だった。[[京阪杯]]4着を挟んで出走した[[宝塚記念]]では14着で春を終えると、秋は[[カブトヤマ記念]]7着、[[福島記念]]6着と重賞では勝てなかった。12月にOP[[セントウルステークス]]でこの年唯一の勝利を挙げこの年は8戦1勝で終えた。