「大衆小説」の版間の差分

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14世紀イタリアでは'''ノヴェッラ'''(新奇な物語)が生まれ、[[ボッカッチョ]]「[[デカメロン]]」がある。15世紀に印刷術が広まり、騎士道物語のパロディー的な[[ラブレー]]「[[ガルガンチュワとパンタグリュエル]]」が広く読まれ、16世紀イタリアでは'''[[ピカレスク]]'''(悪漢小説)が読まれた。
 
16世紀以降、行商人の中に、武勇談、滑稽譚や中世の小説の翻案などを含む、本の行商を専門にする者が現れ、17世紀フランスでは[[トロワ]]地方で作られた青い表紙のものが広まり「青表紙本」と呼ばれた。18世紀末からは貸本屋も生まれ、女性、奉公人、職人といった読者を集めた。イギリスでも17世紀頃から[[チャップ・ブック]]と呼ばれる大衆向けの簡素な本が登場し、小説以外にも旅行ガイドなど様々なものが扱われた。その後、[[コーヒー・ハウス]]向けの刊行物や、貸出し図書館([[:en:Lending library]])がイギリス、ついでフランス、ドイツでも普及したことで、高価な単行本を購入できない庶民も手頃な金額で本を読めるようになった。18世紀末頃における貸出し図書館の人気作品としては『[[トム・ジョウンズ]]』『[[:en:Amelia (novel)|アミーリア]]』『[[ダフニスとクロエ (ロンゴス)|ダフニスとクロエ]]』『[[ファニー・ヒル]]』『[[ジョゼフ・アンドリュース]]』などがあった。
 
=== 近代以降 ===
欧米では19世紀に同時的に大衆向けの出版業が栄えた。
 
[[File:Rescue of Lady Rookwood.png|thumb|150px|[[ディック・ターピン]]の登場するハリスン・アインズワス『[[:en:Rookwood (novel)|ルークウッド]]』の挿絵]]
イギリスでは18世紀半ばから始まった[[産業革命]]によって生まれた中産階級向けに新聞や定期刊行物が登場し、庶民層に読書という余暇の形態が生まれた。19世紀に入るとさらに鉄道の登場などによって流通網が整備され、出版業が栄えた。この初期には[[スコットランド]]の伝承を始めとした物語を書いた[[ウォルター・スコット]]によって、[[歴史小説]]が大きな分野として確立する。当時のイギリスにおける小説の出版形態は、雑誌などの定期刊行物に連載され、完結後に改めてまとめられて書籍で発行されるものと、{{仮リンク|トリプル・デッカー|en|Three-volume novel}}と呼ばれる長編作品を最初から全3巻に分冊してまとめて刊行する形態が主流であった。前者の場合は1話ごとの価格は比較的安く庶民でも購入できたのに対し、後者の価格は庶民が買うには高く、もっぱら出版社や著者は私立図書館や貸本屋に本を売り、庶民は会員費を払ってそれを借りて読むのが一般的だった。前者の連載形態の代表が[[チャールズ・ディケンズ]]であり、後者の形態で出版されたものとして今日に知られる作品としては[[メアリー・シェリー]]の[[ゴシック小説]]『[[フランケンシュタイン]]』がある。ディケンズの作品は貧民層や庶民層を題材とし、大衆に人気を博した。また、ディケンズのような正当な小説家の作品よりもさらに安い価格で登場した定期刊行物が「[[ペニー・ドレッドフル]]」であった。犯罪者などを主人公として扱う内容は低俗なものであり、中には人気作のパロディやもっとあからさまな剽窃作品もあったが、これも広く大衆人気を集め、数年単位で長期連載されたものも少なくなかった。実在の[[ハイウェイマン]](追い剥ぎ)である[[ディック・ターピン]]を主人公とした『ブラック・ベス』は大きな人気を誇り、完結までに2000ページを超えた。『[[吸血鬼ヴァーニー]]』は後のフィクションの吸血鬼の設定に大きな影響を与え、『真珠の首飾り』の主人公である殺人鬼の理髪師[[スウィーニー・トッド]]は現代でもミュージカルや映画に翻案されている。こうした作品群は犯罪を助長するものとして社会問題化されたが、1890年代に新聞王[[アルフレッド・ハームズワース (初代ノースクリフ子爵)|アルフレッド・ハームズワース]]が商業的に駆逐に乗り出すまで残り続けた。19世紀末に入ると[[R.L.スティーヴンソン]]『[[宝島]]』、[[ヘンリー・ライダー・ハガード|H.R.ハガード]]『ソロモン王の洞窟』、[[アーサー・コナン・ドイル]]の[[シャーロック・ホームズシリーズ]]、『勇将ジェラールの回想』などの[[冒険小説]]、[[騎士道小説]]が人気を集める。この影響で20世紀に入るとフランスでも、[[モーリス・ルブラン]]の[[アルセーヌ・ルパン]]シリーズや、[[ガストン・ルルー]]のルールタビーユシリーズといったヒーロー小説も生まれた。歴史小説でも、[[スタンリー・ウェイマン]]、[[ラファエル・サバチニ]]がすぐれた作品を送り込み、ゴシック小説の流れも途絶えることはなく、1897年には現代における吸血鬼のイメージを確立した[[ブラム・ストーカー]]の怪奇小説『[[吸血鬼ドラキュラ (小説)|吸血鬼ドラキュラ]]』が出版されている。
イギリスでは18世紀半ばから始まった[[産業革命]]によって生まれた中産階級向けに新聞や定期刊行物が登場し、庶民層に読書という余暇の形態が生まれた。19世紀に入るとさらに鉄道の登場などによって流通網が整備され、出版業が栄えた。この初期には[[スコットランド]]の伝承を始めとした物語を書いた[[ウォルター・スコット]]によって、[[歴史小説]]が大きな分野として確立する。また[[コールリッジ]]や[[バイロン]]などの[[ロマン主義]]作家が想像力を重視した作品を作ると同時に、労働者階級の貧困や孤独を生み出した合理主義的精神を打破する文学形式としての妖精譚に[[チャールズ・ディケンズ]]や[[サッカレー]]なども注目するようになり、[[ジョン・ラスキン]]『黄金の河の王様』などが書かれ、やがて[[ロード・ダンセイニ]]や[[デイヴィッド・リンゼイ]]などのモダン・ファンタジーが生まれるようになった<ref>風間賢二編『ヴィクトリア朝妖精物語』筑摩書房 1990年</ref>。[[エリファス・レヴィ]]らによる[[オカルティズム]]の流行によって、[[シェリダン・レ・ファニュ]]や[[ウィルキー・コリンズ]]など多くの怪奇小説も生み出された。
 
イギリスでは18世紀半ばから始まった[[産業革命]]によって生まれた中産階級向けに新聞や定期刊行物が登場し、庶民層に読書という余暇の形態が生まれた。19世紀に入るとさらに鉄道の登場などによって流通網が整備され、出版業が栄えた。この初期には[[スコットランド]]の伝承を始めとした物語を書いた[[ウォルター・スコット]]によって、[[歴史小説]]が大きな分野として確立する。当時のイギリスにおける小説の出版形態は、雑誌などの定期刊行物に連載され、完結後に改めてまとめられて書籍で発行されるものと、{{仮リンク|トリプル・デッカー|en|Three-volume novel}}と呼ばれる長編作品を最初から全3巻に分冊してまとめて刊行する形態が主流であった。前者の場合は1話ごとの価格は比較的安く庶民でも購入できたのに対し、後者の価格は庶民が買うには高く、もっぱら出版社や著者は私立貸出し図書館や貸本屋に本を売り、庶民は会員費を払ってそれを借りて読むのが一般的だった。前者の連載形態の代表が[[チャールズ・ディケンズ]]であり、後者の形態で出版されたものとして今日に知られる作品としては[[メアリー・シェリー]]の[[ゴシック小説]]『[[フランケンシュタイン]]』がある。ディケンズの作品は貧民層や庶民層を題材とし、大衆に人気を博した。また、ディケンズのような正当な小説家の作品よりもさらに安い価格で登場した定期刊行物が「[[ペニー・ドレッドフル]]」であった。犯罪者などを主人公として扱う内容は低俗なものであり、中には人気作のパロディやもっとあからさまな剽窃作品もあったが、これも広く大衆人気を集め、数年単位で長期連載されたものも少なくなかった。18世紀に実在した[[ハイウェイマン]](追い剥ぎ)である[[ディック・ターピン]]を主人公とした悪漢小説的な[[:en:William Harrison Ainsworth|ハリスン・アインズワス]]『ブラック・ベス』は大きな人気を誇り、完結までに2000ページを超えた。『[[吸血鬼ヴァーニー]]』は後のフィクションの吸血鬼の設定に大きな影響を与え、『真珠の首飾り』の主人公である殺人鬼の理髪師[[スウィーニー・トッド]]は現代でもミュージカルや映画に翻案されている。こうした作品群は犯罪を助長するものとして社会問題化されたが、1890年代に新聞王[[アルフレッド・ハームズワース (初代ノースクリフ子爵)|アルフレッド・ハームズワース]]が商業的に駆逐に乗り出すまで残り続けた。19世紀末に入ると[[R.L.スティーヴンソン]]『[[宝島]]』、[[ヘンリー・ライダー・ハガード|H.R.ハガード]]『ソロモン王の洞窟』、[[アーサー・コナン・ドイル]]の[[シャーロック・ホームズシリーズ]]、『勇将ジェラールの回想』などの[[冒険小説]]、[[騎士道小説]]が人気を集める。この影響で20世紀に入るとフランスでも、[[モーリス・ルブラン]]の[[アルセーヌ・ルパン]]シリーズや、[[ガストン・ルルー]]のルールタビーユシリーズといったヒーロー小説も生まれた。歴史小説でも、[[スタンリー・ウェイマン]]、[[ラファエル・サバチニ]]がすぐれた作品を送り込み、ゴシック小説の流れも途絶えることはなく、1897年には現代における吸血鬼のイメージを確立した[[ブラム・ストーカー]]の怪奇小説『[[吸血鬼ドラキュラ (小説)|吸血鬼ドラキュラ]]』が出版されている。
フランスでは、[[フランス革命]]後にパリに出て来た貧困な青年たちは、印刷物の低価格化による読者層の増大にともない、小説によって収入を得る道を得て、通俗文学が生まれる。革命から19世紀初めには多くの恋愛小説や、書簡体小説、歴史小説、暗黒小説といった作品が見られ、人気作家[[:fr:Paul de Kock|ポール・ド・コック]]の新作が出ると本屋を襲撃せんばかりに客が押し寄せたと言われている。1836年に創刊『ラ・プレス』紙を始めとして、新聞連載小説([[:fr:Roman-feuilleton|ロマン・フィユトン]])で多くの大衆文学が書かれるようになり、[[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]]の作品は絶大な人気を持ち、ミュルジュ『ボヘミアン生活の諸場面』、シャンフルーリ『モランシャールの町の人々』、デルヴォ『パリの裏面』『二月革命史』などが人気を集めた。1850年には、フランス政府が一般新聞に連載する小説に1[[サンチーム]]の税を課すなどの弾圧も加えられた。また鉄道網の広まりから、駅の売店で販売されるようになった本にも、大衆的な小説が取り入れられるようになる。これら通俗文学の流れは、[[エミール・ゾラ]]らの民衆文学に引き継がれる。また[[フランソワ・ヴィドック]]『ヴィドック回想録』、[[ウージェーヌ・シュー]]『パリの秘密』など犯罪や探偵の要素が入り込んだ作品が後の探偵小説の発生に影響を与えた。1857年から連載が始まった[[:fr:Pierre Alexis de Ponson du Terrail|ポンソン・デュ・テラール]]の『[[:fr:Rocambole (roman)|ロカンボル]]』は、主人公が幾度も登場(復活)するシリーズ作品の嚆矢となる。また1870年代には[[フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ]]の歴史小説や探偵小説が人気を博する。それら通俗小説の一部は翻訳や翻案という形で日本の大衆小説にも影響を与えた。
 
フランスでは、[[フランス革命]]後にパリに出て来た貧困な青年たちは、印刷物の低価格化による読者層の増大にともない、小説によって収入を得る道を得て、通俗文学が生まれる。革命から19世紀初めには多くの恋愛小説や、書簡体小説、歴史小説、暗黒小説といった作品が見られ、人気作家[[:fr:Paul de Kock|ポール・ド・コック]]の新作が出ると本屋を襲撃せんばかりに客が押し寄せたと言われている。1836年に創刊『ラ・プレス』紙を始めとして、新聞連載小説([[:fr:Roman-feuilleton|ロマン・フィユトン]])で多くの大衆文学が書かれるようになり、[[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]]の作品は絶大な人気を持ち、ミュルジュ『ボヘミアン生活の諸場面』、シャンフルーリ『モランシャールの町の人々』、デルヴォ『パリの裏面』『二月革命史』などが人気を集めた。1850年には、フランス政府が一般新聞に連載する小説に1[[サンチーム]]の税を課すなどの弾圧も加えられた。また鉄道網の広まりから、駅の売店で販売されるようになった本にも、大衆的な小説が取り入れられるようになる。これら通俗文学の流れは、[[エミール・ゾラ]]らの民衆文学に引き継がれる。また[[フランソワ・ヴィドック]]『ヴィドック回想録』、[[ウージェーヌ・シュー]]『パリの秘密』など犯罪や探偵の要素が入り込んだ作品が後の探偵小説の発生に影響を与えた。1857年から連載が始まった[[:fr:Pierre Alexis de Ponson du Terrail|ポンソン・デュ・テラール]]の『[[:fr:Rocambole (roman)|ロカンボル]]』は、主人公が幾度も登場(復活)するシリーズ作品の嚆矢となる。また1870年代には[[フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ]]の歴史小説や探偵小説が人気を博する。それら通俗小説の一部は翻訳や翻案という形で日本の大衆小説にも影響を与えた。シャーロック・ホームズの影響により、20世紀に入ると[[モーリス・ルブラン]]の[[アルセーヌ・ルパン]]シリーズや、[[ガストン・ルルー]]の[[:fr:Joseph Rouletabille|ルールタビーユ]]シリーズといったヒーロー小説も生まれた。
 
[[Image:Seth Jones.jpg|thumb|right|200px|ダイムノヴェルとして刊行されたエドワード・L.ウィーラー『セス・ジョーンズ』表紙]]
アメリカでは、[[ジェイムズ・フェニモア・クーパー]]の、建国時代を舞台にした「皮脚絆物語」を始めとする冒険物語はアメリカ国民に広く読まれ、またその後の[[西部劇]]の源泉ともされている。1830年代には「{{仮リンク|ストーリー・ペーパー|en|Story paper}}」と呼ばれる8ページの週刊物語新聞、1840年代になると週刊新聞『ニューワールド』紙の特別版などが人気を博した。その後{{仮リンク|鉛版印刷術|en|Stereotype (printing)}}、{{仮リンク|電気製版術|en|Electrotyping}}といった印刷技術の発達により安価な出版が可能となり、1860年代に「[[ダイムノヴェル]]」と呼ばれる、10セント(1ダイム)で128ページの小型版のアメリカ人作家による読み切り小説のシリーズ、続いて同種の様々なシリーズが刊行された。それらの物語は、冒険小説、[[西部劇|ウェスタン小説]][[家庭小説]][[恋愛小説]]、探偵小説、SF小説などであり、従来の小説の読者層である上流・中流階級だけでなく、労働者階級や少年少女層にも読者を大きく広げた。ダイムノヴェルの初期にもっとも売れた作品として、[[:en:Ann S. Stephens|アン・S.スティーヴンズ]]『マラエスカ 白人ハンターとインディアン妻』(19601860)、[[:en:Edward S. Ellis|エドワード・S.エリス]]『セス・ジョーンズ フロンティアの捕虜』(1860)などがあり、エドワード・L.ウィーラー(''Edward Lytton Wheeler'')の描いたアウトローのヒーロー[[:en:Deadwood Dick|デッドウッド・ディック]]と男装のヒロイン[[カラミティ・ジェーン]]のシリーズも人気を得た。こうしたダイムノヴェルの人気作はイギリスに輸出され、先に挙げた「ペニー・ドレッドフル」の形態で出版されたものもあった。[[:en:John R. Coryell|ジョン・ラッセル・コリエル]]が1886年に創造した探偵[[ニック・カーター]]は、多くの作家によって書き継がれて「アメリカのシャーロックームズ」とも呼ばれる。また1892年から出版された [[:en:Luis Senarens|ルイス・P.セレナンズ]]の[[:en:Frank Reade|フランク・リード・ライブラリー]]は世界最初のSFシリーズとされ、スティームマン(蒸気機関人間)や電気飛行船などの科学技術を駆使して世界中に冒険旅行に出かける物語だった。また一方でこれらは低俗な読み物という評価も受けた。アメリカでの雑誌は[[:en:Slick (magazine format)|スリック・マガジン]]と呼ばれる総合誌が主流だったが、『[[アーゴシー]]』が1896年に娯楽小説専門誌として、粗末なザラ紙を使った[[パルプ・マガジン]]となってからは、分野ごとに特化したパルプ・マガジンの専門誌が次々と生まれた。
 
20世紀に入るとドイツでも[[リオン・フォイヒトヴァンガー]]が知識階級から大衆まで人気を得た世界的ベストセラーになった。映画の流行とともに、上映と並行して小説が発売される「シネロマン」という形態も生まれた。
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*[[桑原武夫]]『文学入門』岩波書店 1950年
*V=L.ソーニエ『中世フランス文学』神沢英三、[[高田勇]]訳 白水社 1958年
*[[荒俣宏]]、[[石上三登志]]、[[小隅黎]]、谷口高夫大衆小説の世界通信-幻想怪奇・探偵・SF筑摩書房九藝出版 19871978
*荒俣宏『別世界通信』筑摩書房 1987年
*[[長谷部史親]]『欧米推理小説翻訳史』本の雑誌社 1992年(双葉文庫 2007年)
*[[北上次郎]]『冒険小説論』早川書房 1993年