「スタンリー・キューブリック」の版間の差分
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[[1953年]]、親類から借金をして初の長編劇映画『[[恐怖と欲望]]』<ref>http://movie.walkerplus.com/mv52997/</ref>を自主製作し、商業的に失敗するもニューヨークの批評家からは賞賛された。続く『[[非情の罠]]』(1955年)も製作費を回収するほどの商業的成功を収めることはできなかった。[[1955年]]には、同い年の[[ジェームズ・B・ハリス]]とともにハリス=キューブリック・プロダクションズを設立し、実験的な犯罪映画『[[現金に体を張れ]]』(1956年)、[[カーク・ダグラス]]と共同製作の反戦映画『[[突撃 (1957年の映画)|突撃]]』(1957年)を製作した。彼のハリウッドでの評価は上がり、[[マーロン・ブランド]]からチャールズ・ネイダーの小説の映画化を依頼されたが、意見の対立などによりブランドから解雇された。このプロジェクトはブランド自身が監督を務めて『[[片目のジャック (映画)|片目のジャック]]』(1961年)として完成された。
[[70mmフィルム|70ミリ]]スペクタクル超大作の
[[1970年代]]以降は、自然光照明を徹底した歴史劇『[[バリー・リンドン]]』(1975年)、[[ジャック・ニコルソン]]主演のホラー映画『[[シャイニング]]』(1980年)、[[ベトナム戦争]]を描く『[[フルメタル・ジャケット]]』(1987年)を製作し、12年ぶりの監督作品となった『[[アイズ ワイド シャット]]』(1999年)の完成直後(同映画の試写会6日後)、1999年3月7日に公開を待たずしてハートフォードシャーの自宅で心臓発作で亡くなった<ref>「映画監督 スタンリー・キューブリック」p446 ヴィンセント・ロブロット 浜野保樹・櫻井英里子訳 晶文社 2004年9月5日初版</ref>。『アイズ ワイド シャット』と同時期から企画を温めていた『[[A.I.]]』は、[[2001年]]に[[スティーヴン・スピルバーグ]]がそのトリートメントを基に脚本を完成させ、製作・公開された。
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