「フィレモンへの手紙」の版間の差分

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== 書簡の内容について ==
本書簡は、[[ローマ]]あるいは[[エフェソス]]において獄中にあったパウロが、紀元[[60年]]頃に協力者フィレモンと二人の仲間(アフィアとアルキポ)およびフィレモンの家の教会にあてて記したものである。『[[コロサイの信徒への手紙]]』によれば、フィレモンは[[コロサイ]]の共同体のメンバーであったと思われる。ただ『コロサイ書』の真筆性には疑問が残る。偽書とした場合、『コロサイ書』は本書を単に模倣したとする説もあるが、その成立はかなり早いと推定されるのでこうした関係を否定できないとする説もある。フィレモンの家の教会とコロサイ教会は同一であるとしてフィレモンがコロサイ書を執筆したという説もある<ref>[https://www.christiantoday.co.jp/articles/28028/20200507/paul-philemon-onesimus-15.htm パウロとフィレモンとオネシモ|「コロサイ書・エフェソ書」―誰が書いたのか]</ref>。この書簡でパウロはフィレモンの奴隷であったオネシモ(オネシモス、[[ギリシア語]]で「役に立つ」の意)なる人物への配慮を求めている。詳しい事情は文面から知りえないが、オネシモは一度「役に立たないもの」としてフィレモンのもとを離れたが、彼を再び迎え入れてほしいというのがパウロの願いである。
 
聖書学者たちの一致した見解はオネシモが主人のもとを逃亡したのだろうということである。さらに逃亡生活の中でパウロに出会い、キリスト教徒になったと考えられる。当然フィレモンは逃げたオネシモのことを良く思っていなかったが、パウロはキリスト教徒として二人を和解させようと考えている。
 
近年はゲルト・タイセン、市川喜一<ref>[http://www.tenryo.net/m3_book.php?p=11&q=012 天旅|奴隷も自由人もない]</ref>らによって、逃亡奴隷説ではなく「オネシモは主人との間に立って問題を収めてくれる人物としてパウロを頼って来た」とする調停依頼説が出されている。
オネシモとパウロがどのように知り合ったのかということは諸説あって定かではない。いくつかあげると、オネシモもパウロとともに投獄されたという説、またオネシモが知人によってパウロに紹介されたという説、さらにパウロと主人フィレモンが知り合いであることを知っていたオネシモが、主人のもとに戻りたいとパウロを頼ったという説などがある。
 
パウロ書簡は詳細な事情については書かないことが多い。この手紙でもパウロはオネシモの件を解決するため、フィレモンの「キリスト者としての愛」に訴えている。パウロはオネシモのフィレモンに対する借りを自分のものにしてくれるよう頼むことで帳消しにするとともに、フィレモンもまたパウロに借りがあることを想起させる。パウロはオネシモが信仰に入ったことで、新たな身分になったとし、オネシモが「奴隷でなく愛する兄弟として」フィレモンの元に戻れるよう配慮している。
 
この箇所が具体的に何を言おうとしているのか、パウロがフィレモンに何を望んでいたということはつまりオネシモを許すことそれ以上に奴隷から解放することなのかはよくわからない。、宣教者としてパウロの望みが、オネシモがフィレモンに弟子って「奴隷にして兄弟」であることか、「奴隷でく兄弟」なのか書簡からは読み取れないど諸説があるこの点に関しては聖書学者たちの意見も分かれているが、パウロにとって福音が「奴隷制度」という当時当たり前だった社会構造にくさびを打ち込むものと考えていたと見るものもいる。
 
コロサイの信徒への手紙4章9節によれば、オネシモその後どうパウロの弟子となったのかもよくわかと考えないれる。[[アンティオキアのイグナティオス]]は[[2世紀]]初頭のエフェソス[[司教]]としてオネシモという名前をあげているが、オネシモは奴隷の名前としてありふれたものだったので同一人物と断定するのは難しい。一方エフェソス[[司教]]オネシモが後日パウロ書簡集を蒐集しその最後にこの書をおいたとする説もある<ref>[http://www.tenryo.net/m3_book.php?p=11&q=013 天旅|パウロ書簡集とオネシモ]</ref>
 
== 特徴 ==