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'''一柳 慧'''(いちやなぎ とし、[[1933年]][[2月4日]] - )は、[[兵庫県日本]][[神戸市]]生まれの[[作曲家]]、[[ピアニスト]]。[[兵庫県]][[神戸市]]生まれ。[[オノ・ヨーコ|小野洋子]](オノ・ヨーコ)は元妻にあたる。
 
== 概要人物 ==
父は[[チェリスト]]の一柳信二。非常に若い時から才能を発揮し、[[青山学院中等部・高等部|青山学院高等部]]在学中、[[1949年]]から[[1951年]]にかけて、[[毎日音楽コンクール]]で3年連続入賞(うち2回は1位)する。[[1954年]]に渡米し、[[1957年]]まで[[ニューヨーク]]の[[ジュリアード音楽院]]で学ぶ。[[1956年]]に[[オノ・ヨーコ|小野洋子]](オノ・ヨーコ)と結婚(1962年に離婚)。[[1959年]]、同地のニュー・スクールで[[ジョン・ケージ]]の講座に参加し、彼の思想に大きく影響を受けたことがきっかけで、[[図形楽譜]]や[[不確定性の音楽]]をとりいれ、[[フルクサス]]などの前衛芸術活動に参加する。
 
[[1961年]]に帰国。同年8月に大阪で行われた「[[二十世紀音楽研究所]]第4回現代音楽祭」を皮切りに、さまざまな演奏会でケージを代表とするアメリカの前衛音楽および自己の作品を紹介し、音楽評論家[[吉田秀和]]をして「ケージ・ショック」と言わしめるほどの衝撃を日本の音楽界に与えた。やがて、彼はアメリカの実験音楽のもう1つの流れである[[ミニマル・ミュージック]]にも触発され、1972年に「ピアノ・メディア」を発表している。この作品は五線譜で書かれ、不確定性は排除されており、それまでの作風からの転換を示したものである。この頃から、音楽における空間の要素に関心を示すようになった。80年代に入ると[[尾高尚忠#尾高賞|尾高賞]]を4度受賞するなど高い評価を受け、以後、名実ともに日本代表的なする作曲家の一人として活動を続けている。
 
80年代からは邦楽器のための作品を毎年のように発表し、1990年には[[東京インターナショナル・ミュージック・アンサンブル]]を設立するなど、日本の伝統音楽の発信にも力を注いでいる。
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== 主要作品 ==
 
=== オペラ ===
*[[横尾忠則]]を歌う
*モモ  (題材は[[ミヒャエル・エンデ]])
*モノオペラ「火の遺言」
*光
*愛の白夜  (題材は[[杉原千畝]])
 
=== 管弦楽曲 ===
*ピアノとオーケストラのための「空間の記憶」(ピアノ協奏曲第1番)  <small>※第30回(1981年)[[尾高尚忠#尾高賞|尾高賞]]受賞</small>
*ヴァイオリン協奏曲「循環する風景」  <small>※第32回(1983年)尾高賞受賞</small>
*ピアノ協奏曲第2番「冬の肖像」  <small>※第37回(1988年)尾高賞受賞</small>
*交響曲「ベルリン連詩」  <small>※第38回(1989年)尾高賞受賞</small>
*ピアノ協奏曲第3番「分水嶺」
*交響曲第3番「交信」
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*交響曲第5番「熟成する時間」
*ピアノ協奏曲第4番「JAZZ」([[山下洋輔]]とのコラボレーション)
*交響曲第10番 ─さまざまな想い出の中に─岩城宏之の追憶に  <small>※第65回(2017年)[[尾高尚忠#尾高賞|尾高賞]]受賞</small>
 
=== 室内楽曲・器楽曲(鍵盤楽器曲をのぞく) ===
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*リズム・グラデーション
*オーボエとピアノのための「雲の経」(Cloud Figures)
*「風の色合い」1980  フルート独奏のために 
 
=== 鍵盤楽器曲(特に明記しない限り、ピアノソロ) ===
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*『音を聴く-音楽の明日を考える』([[岩波書店]]、1984年)
*『音楽という営み]』([[NTT出版]]、1998年)
*『一柳慧  現代音楽を超えて』([[平凡社]]、2016年)
 
== 脚注 ==