「春木競馬場」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→Check Wikipedia high priority :Unicodeの制御文字=&#x202a (Left-to-Right Embedding)を削除しました。
27行目:
[[1945年]](昭和20年)、太平洋戦争の終結によって、春木競馬場も比較的早く再開されて、[[1946年]](昭和21年)8月から11月まで、大阪府馬匹組合連合会主催で連続6開催(1開催4日間)行われたのが戦後のスタートとなった。[[1948年]](昭和23年)8月からは[[大阪市]]および府下の17市が主催団体となり、戦後新たに長居に開設された[[大阪競馬場]]とともに、公営競馬としての開催が開始された。しかし[[競輪]]の影響を受け、売り上げが低迷する状態が続いた。
 
[[1950年代]]初めには[[福山競馬場]]や[[園田競馬場]]との交流が深く、この当時通年開催でなかった福山の騎手や馬が[[貨物列車]]で関西に遠征し、福山の開幕まで当地に滞在していた。その逆に春木から福山への遠征も見られたという{{refnest|園田から福山への遠征については確認できる資料が存在しない。[‪httpshttps://%E7%A6%8F%E5%B1%B1%E3%81%AB%E3%82%82%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F.xyz/2018/03/25/fukuyamatoharuki/ 福山競馬と春木競馬]〈福山にも競馬があった、2018年3月25日、2019年11月28日閲覧〉中、[[1953年]][[中国新聞]]の複写([[呉市]]営福山競馬第五日)に、春木所属の騎手と思われる人物が福山競馬で騎乗していることがわかる記述がある}}。
 
[[1958年]](昭和33年)に[[大阪市]]が競馬開催権を返上し、翌年には[[大阪競馬場]]が廃止されたが、[[大阪市]]をのぞく主催団体の市が大阪府都市競馬組合を結成し、引き続き開催を継続した。その後は[[1960年]](昭和35年)ごろから売り上げも順調に伸び、日本有数の売り上げを誇るようになったほか、[[1964年]](昭和39年)12月には鉄筋4階の新たなスタンドが完成し[[1966年]](昭和41年)には1開催平均3億円まで売り上げが伸びて前途はまだ明るかったが、この時期がピークでやがて売り上げの低迷が続く中で廃止に追い込まれていく。