「卜部亮吾侍従日記」の版間の差分

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『'''卜部亮吾侍従日記'''』(うらべりょうごじじゅうにっき)は、[[昭和天皇]]と[[香淳皇后]]に仕えた[[侍従]][[卜部亮吾]]が、記していた約32年間の[[日記]]である。[[昭和]]から[[平成]]への代替わりの実務を仕切った当時の経緯と、晩年の昭和天皇の姿がわかる歴史的資料とされる。[[2007年]]に発見され<ref name="47news20070426">{{Cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200704/CN2007042601000228.html | title = 戦犯合祀「御意に召さず」 元侍従卜部氏の日記 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2007-04-26 | accessdate = 2013-04-26 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20100817190701/http://www.47news.jp/CN/200704/CN2007042601000228.html |archivedate = 2010-08-17}}</ref>、同年[[朝日新聞社]](全5巻)で刊行された。
 
卜部亮吾日記は、卜部が侍従となった[[1969年]]12月から死去直前の[[2002年]]2月までの32年間、ほぼ毎日記されている<ref name="47news20070426"/>。卜部は侍従(広報担当)として、昭和天皇の地方巡幸に常につきそっており、最後の地方[[巡幸]]となった1987年春の[[伊豆大島]](前年に噴火した)訪問にも付き添っていた。また昭和天皇崩御・大喪〈1989年([[昭和]]64年/[[平成]]元年)〉前後の動静・内情、特に昭和から平成への代替わりの実務を仕切った当時の経緯と、天皇自身の晩年の姿が判る事で貴重な史料とされる。
 
日記には、昭和天皇の晩年の闘病生活と先の大戦にたいする悔恨や国民への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる記述が特に重要視されている。特に注目されるのは、昭和天皇が晩年あまり多くを語らなかった過去に対する思いや、[[靖国神社]]に対する考えなどが記述されている。なお1巻目と5巻目は、昭和から平成への代替わりに重点が置かれているので抄版である。