「黄文雄 (政治家)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: 差し戻し済み
編集の要約なし
26行目:
1937年、台湾の[[新竹]]生まれ。[[1964年]]、[[アメリカ合衆国]]の[[ピッツバーグ大学]]の[[奨学金]]を獲得したのを機に渡米、[[コーネル大学]]社会学研究所で博士課程取得に励むかたわら、台湾独立建国連盟に所属し、台湾独立に向けた活動を行っていた。
 
[[1970年]][[4月24日]]、訪米中の[[蔣経国]](後の[[中華民国総統]])を[[ニューヨーク]]の[[プラザホテル]]で狙撃するという[[{{仮リンク|蒋経国暗殺]]未遂事件|zh|四二四刺殺蔣經國案|label=暗殺未遂事件}}を起こし、[[ニューヨーク市警察]]に逮捕される。その後、[[保釈]]中に逃亡し、[[1996年]]まで地下に潜伏した。この暗殺未遂事件は[[台湾独立運動|台湾独立]]派からは「義挙」として賞賛されることが多い一方で、[[中華人民共和国]]政府など台湾独立に対して批判的な勢力からは「台湾独立派が[[テロリスト]]にしかすぎない」証拠であると非難されることが多い。
 
1996年[[4月]]、台湾へ帰国し、[[1998年]][[1月]]には台湾人権促進会の会長に就任し、[[2000年]]には[[陳水扁]]政権のもとで[[中華民国総統府]]国策顧問も務めた。