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2歳時(旧3歳)は2戦未勝利に終える。
 
翌3歳(旧4歳)になると本格化し5連勝で[[皐月賞]]([[厩務員]]スト長期化の為に、この年は[[NHK杯]]・[[桜花賞]]と同日開催)に挑んだ。連勝中に[[弥生賞]]等に勝っており1番人気に押されたが、厩務員ストが原因の体調不良(最も、アサデンコウだけで無く大半の出走馬は体重大幅減で出走だったが…)であえなく7着敗戦。しかし5番人気に落ちた中1週の東京優駿ではスタート2ハロン目にハロンタイム10秒フラット([[新潟競馬場]]に[[直線コース]]が出来るまで抜かれなかった程の早いタイム)を叩き出す程の乱ペースを掻い潜り直線で同厩舎のヤマニンカップと共に抜け出し、骨折しながらも後続を振り切り1着でゴールした(この激走劇を称え、『[[名馬アサデンコウの歌]]』が作られた)。この時[[東京競馬場]]には[[雷]]が鳴り響き、「電光(デンコウ)」を味方につけた勝利と言われた。また、後に[[鉄人]]と呼ばれる程の名騎手となる[[増沢末夫]]にとって,
苦節10年初めての[[重賞]]制覇でもあった。