「アルバート・R・ブロッコリ」の版間の差分

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1977年に、[[ロンドン]]から[[ビバリーヒルズ]]へと移住し、1981年に映画界への功績を認められ[[アービング・G・タルバーグ賞]]を受賞。プロデューサーとしてクレジットされた最後の作品は『[[007 消されたライセンス]]』。次作『[[007 ゴールデンアイ]]』は存命中の作品だったがプロデュース業からは退き、ウィルソンと娘の[[バーバラ・ブロッコリ]]にプロデューサーの座を譲った。逝去後の『[[007 トゥモロー・ネバー・ダイ]]』のエンディングに、追悼の一文が挿入されている。
 
== エピソード ==
*『[[007は二度死ぬ]]』を日本で撮影した後、[[英国海外航空]][[ボーイング707]]型機911便で帰国する予定だったが、出発2時間前にブロッコリと[[ルイス・ギルバート]]、[[ハリー・サルツマン]]、[[フレディ・ヤング]]、ケン・アダムの5人はそれまで都合がつかなかった忍者術の記録映画の披露が急遽行われることになったため搭乗をキャンセルした。鑑賞後、彼らの搭乗予定だった当該便が[[空中分解]]によって墜落したと知ると一行は青ざめ、「これが二度目の命だ」と胸を撫で下ろしたという([[英国海外航空機空中分解事故]]を参照)。
 
== プロデュース作品 ==