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[[1964年]]のチリ大統領選挙に、対立候補の[[サルバドール・アジェンデ]]に勝ち、[[11月3日]]にチリ大統領となる。『自由の中の革命』を公約として、外国資本の元にあったチリの鉱山をチリの物とし、穏健な農地改革を進める。住宅建設を進め、資本家よりも一般大衆の利益をより優先する政策をとった。[[1970年]][[11月3日]]、大統領職を任期満了で退き、大統領選挙に勝利したサルバドール・アジェンデが引き継ぐこととなる。
アジェンデ政権に対しては、批判的な立場をとり続ける。[[1973年]]3月、チリ上院議長に選ばれる。[[1973年]][[9月11日]]の際の[[チリ・クーデター]]に際して、「支持」の立場をとっていたという情報もある<ref name="one">[
[[1982年]][[1月12日]]、入院先の病院で死去する。腹膜炎が原因とされてきたが、数年間にわたる遺族や民主勢力の調査活動の結果、毒殺された疑いが濃いことが分かり、[[2009年]][[12月7日]]、軍関係者ら6人が逮捕される<ref>[http://www.jiji.com/jc/p_archives?rel=j7&id=20091208172850-8741027 元大統領は「毒殺」、6人訴追=チリ 時事ドットコム]</ref><ref name="one">[
なお、息子の[[エドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ]]([[:es:Eduardo Frei Ruiz-Tagle|Eduardo Frei Ruiz-Tagle]])は、[[1994年]]5月から[[2000年]]5月まで、第32代チリ大統領に就任した。
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