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馬名がラッキールーラとなったのは「ラッキーセブン」の「ラッキー」と「セブン」にちなんで7文字の馬名にしたと言われている。
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ラッキールーラはダービーを制して世代の頂点となったが、この世代には「スーパーカー」と呼ばれながらも、当時の規則で持込馬には出走権が無いため、[[クラシック (競馬)|クラシック]]不出走の怪物[[マルゼンスキー]]
また、皐月賞馬[[ハードバージ]]も競走生活引退後の種牡馬生活が不調で、最後はショーや馬車の使役馬に転用され斃死するという悲劇的な運命を辿った事で有名である。その他、マルゼンスキーが
;西暦末尾が7の年のクラシック世代の不幸説
一時期、競馬[[マスコミ]]などで、「'''西暦末尾が7の年のクラシック戦線の牡馬たちは不幸の世代になる'''」と、[[ジンクス]]の様に言われた事がある。この際にラッキールーラは「マルゼンスキーの影に消えた悲運のダービー馬」として最も象徴的に扱われる事が多かった一頭である。
ちなみに、過去
*1957年組
:この年は1977年と同様の事態であった。同い年の馬ではあるが、[[アングロアラブ|アラブ]]の怪物と呼ばれた[[セイユウ]]が大活躍、アラブ相手に15連勝、さらには[[サラブレッド]]に挑戦し、[[七夕賞]]、[[福島記念]]と勝利、さらに[[セントライト記念]]ではダービー3着の[[ギンヨク]]、NHK杯2着の[[ラプソデー (競走馬)|ラプソデー]]など[[菊花賞]]を目指す有力馬たちを撃破。菊花賞ではセイユウに敗れたラプソデーが優勝したことから、「菊花賞馬よりも強いアラブがいる」という事になってしまい、サラブレッドの最強馬がラプソデー、それよりも上に事実上の4歳最強としてアングロアラブのセイユウが存在するという状態になってしまった。さらにラプソデーは翌年の秋、休養のために滞在していた伊豆の大仁温泉で[[狩野川台風]]の直撃を受け、大雨による鉄砲水に巻き込まれ、一命こそ取り留めたものの競走馬としては引退に追い込まれた。
*1967年組
:飼料への[[農薬]]混入事故で戦線離脱を余儀なくされた
*1977年組
:マルゼンスキーの影にクラシック競走は存在そのものが霞んでしまった'''悲運の世代'''。
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:皐月賞上位3頭([[サクラスターオー]]・[[ゴールドシチー]]・[[マティリアル]])の生涯に象徴され、もはや'''悲劇の世代'''とまで呼ばれる。[[サクラスターオー#悲劇の世代|サクラスターオー]]を参照。
*1997年組
:世代レベル的に凡庸と言われたが、その出走馬の中から[[サイレンススズカ]]という名馬を輩出。しかし、そのサイレンススズカは後にレース中の事故で粉砕骨折、予後不良。二冠馬サニーブライアンもダービー後故障の為に復帰できぬまま引退
== 血統表 ==
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