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'''米谷事件'''(よねやじけん)は、[[1952年]]に[[青森県]]で発生した[[冤罪]]事件。
== 概要 ==
1952年[[2月25日]]、青森県[[東津軽郡]]高田村(現・[[青森市]])で57歳の女性が強姦の上殺害され、現金が奪われるという事件が発生した。警察は、「日没後に衣類で顔を覆って歩いてくるところを目撃した」という近所の子供の証言を基に、近くに住む米谷
公判では米谷氏は一貫して容疑を否認したが、主張は認められず、同年[[12月25日]]に懲役10年の実刑判決を受け服役し、[[1958年]]に仮釈放となった。そんな中、[[1966年]]4月になって事件当時少年だった被害女性の甥(当時33歳)が真犯人であると名乗り出るという事態が発生。甥は金目的で叔母である被害者を絞殺した後、露になった太腿に劣情して強姦に及んだと述べた。この自白はかなり信憑性が高いものと思われたが、裁判ではこの主張は退けられ、[[1968年]]に甥は無罪となった。しかし、甥は自責の念に耐えかね、検察控訴中の[[1970年]][[5月5日]]に自殺。その後、日弁連が動いて再審請求を行い、[[1978年]][[7月31日]]、米谷は再審で無罪判決を受けた。
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