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[[津田信澄]]の長男として、信澄が[[大溝陣屋|大溝城]]主だった時代に誕生した。生母は[[明智光秀]]とその継室[[妻木煕子]]の娘のため、光秀と煕子の外孫にあたる。
 
かつて父・信澄の家臣だった経歴のある[[藤堂高虎]]の家臣としてに仕え、[[文禄・慶長の役#文禄の役|文禄の役]]に出陣する。後に[[藤堂氏|藤堂家]]を去り、[[豊臣氏|豊臣家]]に仕える。[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]で高虎の部隊などと戦って活躍し、[[豊臣秀頼]]から褒賞を受ける。なお、大坂の陣に際し、長男の勘七郎は戦死している。[[大坂城]]落城後、徳川方に出頭するものの、高虎のとりなしを受けて[[徳川家康]]に助命された。以後、剃髪して道半斎と号する。
 
[[元和 (日本)|元和]]4年([[1618年]])11月、2代将軍・[[徳川秀忠]]に旗本として召し抱えられ、[[近江国]][[甲賀郡]]内などで2000石を与えられる。以後、束髪して主水と称する。