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'''高松 凌雲'''(たかまつ りょううん)は、[[幕末]]から[[明治]]時代の[[幕臣]]・[[医師]]。[[筑後国]][[御原郡]](在の[[福岡県]][[小郡市]])の農家出身。[[箱館戦争]]においては[[箱館]]病院を開院。その後、民間救護団体の前身と言われる[[同愛社]]を創設。日本における[[赤十字社|赤十字]]運動の先駆者とされる。
 
== 生涯 ==
=== 農民から幕臣へ ===
天保7年(1836年)12月25日、[[筑後国]]御原郡古飯村(現・福岡県小郡市)で[[庄屋]]・高松与吉の3男として生まれる。[[安政]]3年([[1856年]])、19歳の時に[[久留米藩]][[家老]]・有馬飛驒の[[陪臣]]・川原弥兵衛の養子となり、農家の高松権平から川原荘三郎という武士となる。しかし養家の頽廃ぶりに嫌気がさし、安政6年([[1859年]])4月、24歳で脱藩した。[[江戸]]にいる兄・[[古屋佐久左衛門]]を頼って上京し、医師を志すようになる。
 
まず、その当時、蘭方医([[オランダ]]医学)として著名だった[[石川桜所]]の門下に入り、オランダ医学を徹底的に学んだ。その後、大坂に出て全国から俊才が集まっていた[[適塾]]に入塾し、[[緒方洪庵]]の指導を受けた。凌雲はここでも頭角を現し、西洋医学の知識のみならず、[[オランダ語]]を自由に操るまでになる。更に、幕府が開いた英学所で学び、英語もマスターした。