「名港中央大橋」の版間の差分

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{{橋
|名称= 名港中央大橋
|画像= [[ファイル:Meiko Central Bridge 20170610A.jpg|300px|名港中央大橋]]
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[名古屋市]]
|水域 = [[名古屋港]]
|路線名 = [[画像:Japanese National Route Sign 0302.svg|24px]][[国道302号]](伊勢湾岸道路)
|管理者 = [[中日本高速道路株式会社|中日本高速道路]]
|設計者 =
|施工者 =
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== 橋種選択 ==
名古屋港横断道路の構想は1964年5月の名古屋港管理組合が策定した港湾計画に端を発し<ref name="中日19640517">{{Cite news |title=管理組合が長期整備計画を発表 10年後に大名古屋港 貨物は年間9500万トン 商港の中心に13号地 |newspaper=中部日本新聞朝刊|date=1964-05-17|page=1}}</ref>、これが[[名古屋環状2号線]]に組み込まれて環状ルートの一部を形成するに至った{{Sfn|名古屋港管理組合三十年史編集会議|1984|p=488}}。やがては産業道路として混雑をきたす名四国道のバイパスとして[[豊田市]]と[[四日市市]]間に第二名四国道が計画され、この内の名四東IC(現・[[名古屋南ジャンクション|名古屋南JCT]]) - 飛島IC間で環状2号と並行することとされ、両道路を併せて往復10車線の道路となった。のちに事業費を圧縮するために両道路は統合されて往復6車線の道路となった。さらに第二名四国道(伊勢湾岸道路)は国と自治体の思惑が合致したことによって[[新東名高速道路|第二東名]]、[[新名神高速道路|第二名神高速道路]]の一部に組み込まれた<ref name="中日19880608">{{Cite news |title=第二東名ルートの一部 伊勢湾岸道あてる 建設相表明|newspaper=中日新聞朝刊 |date=1988-06-08|page=1}}</ref><ref name="中日19880610">{{Cite news |title=第2東名・名神 全ルート固まる 御殿場以東と栗東以西 拡幅し当面供用 |newspaper=中日新聞朝刊 |date=1988-06-10|page=1}}</ref>。
 
以上に見た経緯と連動して、名古屋港横断道路の構想は激しく変化した。1964年当初は「夢の大橋で結ぶ」と報道されたが<ref name="中日19640517">{{Cite news |title=管理組合が長期整備計画を発表 10年後に大名古屋港 貨物は年間9500万トン 商港の中心に13号地 |newspaper=中部日本新聞朝刊|date=1964-05-17|page=1}}</ref>、しばらく経過すると大橋あるいはトンネル方式とされた<ref name="中日19650602">{{Cite news |title=環状二号道路を急げ 名古屋大都市計画懇談会が中間報告 |newspaper=中日新聞朝刊 |date=1965-06-02|page=2}}</ref>。そこへ往復10車線の構想が割り込むことで、橋梁、トンネルの区別なく膨大な構造で計画されるに至った{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=3 - 5}}。やがて海上横断道路は往復6車線に縮小され、ほぼ同時期に橋梁式に転換された{{Sfn|名港西大橋編集委員会|1986|pp=3 - 5}}。つまり、金城ふ頭と9号地(現・潮見ふ頭)間の横断形式は構想も含めて、橋梁→トンネル→橋梁の複雑な経過を辿ることになった<ref name="中日19781223夕刊">{{Cite news |title=名港大つり橋、建設へ前進 西、中央、東の3本 『環2』計画を港湾審が了承 来年度にも着工 |newspaper=中日新聞夕刊|date=1978-12-23|page=1}}</ref>。
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これによって桁下空間の変更とあいまって<ref>『三十年のあゆみ』建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所、1989年10月、p.301</ref>橋長1560 mに変更されることになり<ref>『二十年のあゆみ』建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所、1980年3月、pp.287 - 289</ref>1979年3月に港湾計画に反映された<ref>『三十年のあゆみ』建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所、1989年10月、p.301</ref>。1978年度に船舶航行調査の結果に基づいて桁下空間の再検討を実施し、対象となる大型船舶を貨物船(19100D/W)として桁下空間を47 mに引き下げた<ref>『二十年のあゆみ』建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所、1980年3月、pp.293 - 294</ref>。その後、吊り橋に必要なアンカレイジを支えるに必要な地盤がこの付近には無いことが問題化し、これによるクリープ(荷重が当初は一定に保たれていても時間と共にひずみが増す現象)発生が懸念されたことから、地盤が受ける負担の軽減を狙って支間長を縮小することになった{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=247}}。この問題は1974年における予備設計終了時点で既に判明しており、特に軟弱地盤の金城ふ頭におけるアンカレイジは常時大きな水平力が作用することから、基礎地盤が変形してアンカレイジが傾斜することが懸念されていた{{Sfn|山本邦夫・久賀英男・和田実|1974|p=38}}。また、支間長が長すぎることは建設費が莫大であることから有料道路としての採算性に問題があり{{Sfn|松本章|1985|p=57}}、さらに9号地のインターチェンジが片方向アクセスとなることでサービスレベルダウンとなることから、橋の長さを縮小することは是非とも必要な対策であった{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=247}}。これらの問題を払拭するために、名古屋港管理組合は北航路位置の変更を決定し、B水域の概ね中間に移動することとした<ref group="注釈">航路の移動は内港航路と接続する外港航路との接続角度の改善を目的としたもので、中央大橋の規模縮小はこの機を捉えて計画に反映したもの。『名古屋港史 建設編』名古屋港史編集委員会、1990年3月31日、246 - 249頁</ref>。これによって従来は航路をまたいで計画されていた東側の主塔が水域に設置することが可能となったことで、支間長は1560 mから1170 mへと縮小された<ref name="建設省三十年 P385">『三十年のあゆみ』建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所、1989年10月、p.385</ref>。この変更を受けて9号地インター(現・[[名港潮見インターチェンジ]])は両方向アクセス方式に変更された{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=247}}。橋梁規模縮小によって斜張橋式の採用が可能となったことで{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=3}}、吊り橋案と斜張橋案で検討した結果、工期、経済性に優れる斜張橋案が採用された<ref name="建設省三十年 P385"/>。決定は1985年5月である<ref>『三十年のあゆみ』建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所、1989年10月、p.301</ref>。なお、中央径間縮小によってP-4橋脚が西へ移動してリノール油脂(現・[[日清オイリオグループ]])の専用桟橋(15000重量トン級1バース)と重なることから、桟橋を南へずらす配置変更計画を1987年に策定している{{Sfn|名古屋港史編集委員会|1990|p=252}}。
 
{{wide image|Meiko Central Bridge 20171202C.png|800px|名古屋港B水域横断ルートと航路の変遷を示す画像。橋長1490 mは旧計画ルートに対応したもの。現行ルートに変わってから1560 mに伸長したがほどなく1170 mの斜張橋に変更された。これは航路が金城ふ頭側に移動したことで可能となった。画像中のPは吊り橋における橋脚位置を、Aはアンカレイジ位置を示す。なお、航路とは大型外国船が多く出入りする特定港において安全上の理由から設定が義務づけられているもので、雑種船以外の船舶は航路を航行するものと定められている{{Sfn|名古屋港開港百年史編さん委員会|2008|p=357}}。<br /><small>画像説明の典拠:『第26回 技術報告会資料 道路編』建設省中部地方建設局、1977年7月、83頁/『名古屋港要覧2016』名古屋港管理組合/『名古屋港図』名古屋港管理組合、1984年7月/『第34回 技術報告会資料道路編』建設省中部地方建設局、1985年8月、57頁</small>}}
 
{{wide image|Meiko Central Bridge 20171202A.png|800px|1977年7月時点の構想は吊り橋式で橋長1490 mであった。<br /><small>図の典拠:(吊り橋)『技術報告会資料 道路編』建設省中部地方建設局、1977年7月、83頁 (斜張橋)『土木技術』土木技術社、1997年1月号、57頁</small>}}
 
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=== 主塔・橋脚 ===
{{double image aside|right|Meiko Central Bridge 20171022E.jpg|243|Meiko Centrak Bridge 20171022C.jpg|240|画像左 : 主塔上部は原則単ブロック溶接接合としたが水平梁上部はHTB接合である。ボルトで接合しているのが判る{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=57}}。<br>画像右 : 下部工(基礎)の寸法を極力小さく抑えるために主塔下段水平梁以下をV字形に絞り込んだ{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=57}}。}}
 
主塔は規模が大きいため、基礎の寸法を極力縮小するために主桁を載せる下段水平梁より下層はV字形に絞り込んでいる{{Sfn|鈴木裕二(土木技術寄稿)|1997|p=57}}。主塔の色は[[オオハクチョウ|大白鳥]]が羽根を広げたイメージとして白とした{{Sfn|鈴木裕二|1997|p=75}}。
 
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=== 主桁 ===
[[Fileファイル:Meiko Central Bridge 20171022I.png|thumb|500px|right|主桁架設工法を示す図。張り出し架設工法を採用したが、P-2側はベント(ステージング)併用、P-3側は水中ベントが建てられないのでバランシング工法を採用した。ケーブルを主桁架設中でも活用できることがマルチケーブル方式斜張橋の大きなメリットである。<br /><small>図の出典:『土木技術』Vol.53・No.5、1998年5月号、30頁</small>]]
斜張橋のため風による振動が特に心配されたことから風の抵抗を軽減できる薄型を採用した。そして自動車や風等によるねじり変形に抗する強度確保や塗装等メンテナンスの容易さから一体型の多室箱型とされ{{Sfn|村里正彦・井ヶ瀬良則|1990|p=7}}、両端に三角形状のフェアリング(Fairing:空気力低減のために整形すること、その部材){{Sfn|遠田良喜|1997|p=198}}を取り付けた六角形が選択された。主桁両端にてケーブルを連結して吊り上げる2面吊り方式である。全幅は37.5 m、全高は3.5 mである{{Sfn|水口和之・長井正・溝江実|1997|p=77}}。また、メイン航路に架橋されることから主桁も非常に高く、T.P+63 m{{Sfn|古郷誠|1992|p=37}}、桁下空間は55 m{{Sfn|名古屋港管理組合議会事務局議事課|2013|p=53}}(航路空間は47 m)である。
 
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=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}