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{{Otheruses|伝統芸能|焼き料理|味噌田楽|煮込み料理|おでん|愛知県に存在した村|田楽村}}
{{Redirect|田楽座|長野県の劇団|歌舞劇団 田楽座}}
[[File:2014 Oji Dengaku 02.JPG|thumb|right|250px|東京・王子田楽(2014年)]]
'''田楽'''(でんがく)は、[[平安時代]]中期に成立した[[日本]]の[[伝統芸能]]。楽と躍りなどから成る。「[[田植え]]の前に[[豊作]]を祈る[[田遊び]]から発達した<ref> 「年中行事事典」p508 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 [[西角井正慶]]編 東京堂出版</ref>」「渡来のものである」などの説があり、その由来には未解明の部分が多い。
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=== 平安時代 ===
平安時代に書かれた『[[栄花物語]]』には田植えの風景として歌い躍る「田楽」が描かれており、[[大江匡房]]の『[[洛陽田楽記]]』によれば、[[永長]]元年([[1096年]])には「[[永長の大田楽]]」と呼ばれるほど[[京都]]の人々が田楽に熱狂し、[[貴族]]たちがその様子を[[堀河天皇|天皇]]にみせたという。平安後期には[[寺社]]の保護のもとに[[座]]('''田楽座''')を形成し、田楽を専門に躍る田楽法師という職業的[[芸人]]が生まれた。
 
草創期の田楽は[[御霊会]]との結びつきが強く{{sfn|西岡 |1994|pp=149-184}}、仏事に演じられる舞楽に対して卑俗な演芸と見られていた様子が、[[比叡山]]の教円[[天台座主|座主]]の若い頃のエピソードとして『[[今昔物語]]』に「近江国矢馳郡司堂供養田楽語第七」として残されており、当時の田楽の様子も活写されている。
 
=== 鎌倉・室町時代 ===
[[鎌倉時代]]にはいると、田楽に演劇的な要素が加わって'''田楽能'''と称されるようになった。[[鎌倉幕府]]の[[執権]][[北条高時]]は田楽に耽溺したことが『[[太平記]]』に書かれており、[[室町幕府]]の4代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義持]]は[[増阿弥]]の芸を好んだことが知られる。田楽ないし田楽能は「[[能楽]]」の一源流であり、「能楽」の直接の母体である[[猿楽]]よりむしろ高い人気を得ていた時代もあった。
 
田楽は、[[大和猿楽]]の興隆とともに衰えていったが、現在の[[能]](猿楽の能)の成立に強い影響を与えた。能を大成した[[世阿弥]]は、「当道の先祖」として田楽から[[一忠]](本座)、[[喜阿弥]](新座)の名を挙げている。
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[[2009年]]現在、以下の24件が民俗芸能の田楽の分類で、[[重要無形民俗文化財]]に指定されている(指定日 都道府県)。このうち'''秋保の田植踊'''および'''那智の田楽'''は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[無形文化遺産]]に登録されている。
 
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*[[秋保の田植踊]]([[1976年]][[5月4日]] 宮城県)
*[[板橋の田遊び]](1976年5月4日 東京都)
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*[[田原の御田]]([[2000年]][[12月27日]] 京都府)
*[[塩原の大山供養田植]]([[2002年]][[2月12日]] 広島県)
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*[[御宝殿の稚児田楽・風流]](1976年5月4日 福島県)
*[[水海の田楽・能舞]](1976年5月4日 福井県)
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*[[白鬚神社の田楽]](2000年12月27日 佐賀県)
*[[都々古別神社の御田植]]([[2004年]][[2月6日]] 福島県)
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|}
 
== 脚注 ==
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*[[御田植祭]]
*[[北条高時]] - 田楽踊り好きが高じて北条氏滅亡を招いた
{{日本の伝統芸能}}
 
{{日本の伝統芸能}}
{{能}}
{{DEFAULTSORT:てんかく}}
[[Category:日本舞踊]]