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== 人物 ==
いわゆる「[[暴君]]」であり、無理やり群臣達に飲酒を強要した上で、監視の役人を側に置き、酩酊状態でわずかでも問題のある言動があれば処罰を加えた。また[[後宮]]に何千もの女性を入侍させ、意にそぐわない[[後宮#中国の後宮|宮女]]を殺害し、宮殿内に引き込んだ川にその死体を遺棄したという。刑罰では残虐な方法を使い、人の顔の皮を剥いだり、目玉をえぐったりもしたという。お気に入りの人物は重用し高官に取り立てた。さらに土木工事を好み、民衆を労役で苦しめたので民心が離れていったという。
いわゆる「[[暴君]]」であるが、変貌したのは「如何足掻いた処で'''孫呉の滅亡は免れぬ'''」と父譲りの鋭敏な才知で悟り、肚を括って終った為である。
 
一方で、降伏に際して孫晧は家臣たちに書簡を送り、呉滅亡の責任を一身に負い、家臣には晋に仕官し才能を発揮するようにと伝えている<ref>『江表伝』</ref>。元の侍中であった[[李仁 (孫呉)|李仁]]は、孫晧の残虐な刑罰について弁明したという。また、呉の滅亡後に晋に仕えた[[吾彦]]は晋の武帝の前で、孫晧は英明であったと弁明している<ref>『[[晋書]]』吾彦伝</ref>。
それでも国体維持の為に形振り構わず足掻けるだけ足掻いて中央集権化を進め、[[吾彦]]や[[張悌]]・[[李仁 (孫呉)|李仁]]と謂った[[寒門]]層を引立て、[[韋昭]]・[[楼玄]]・[[賀邵]]と謂った[[名士]]・[[豪族]]層の権勢を削ぐ為に迫害した。孫呉滅亡に際し国に殉じたのは名士層ではなく寒門層である。
 
無理やり群臣達に飲酒を強要した上で、監視の役人を側に置き、酩酊状態でわずかでも問題のある言動があれば処罰を加えた。また[[後宮]]に何千もの女性を入侍させ、意にそぐわない[[後宮#中国の後宮|宮女]]を殺害し、宮殿内に引き込んだ川にその死体を遺棄したという。刑罰では残虐な方法を使い、人の顔の皮を剥いだり、目玉をえぐったりもしたという。お気に入りの人物は重用し高官に取り立てた。さらに土木工事を好み、民衆を労役で苦しめたので民心が離れていったという。
 
一方で、降伏に際して孫晧は家臣たちに書簡を送り、呉滅亡の責任を一身に負い、家臣には晋に仕官し才能を発揮するようにと伝えている<ref>『江表伝』</ref>。元の侍中であった李仁は、孫晧の残虐な刑罰について弁明したという。また、呉の滅亡後に晋に仕えた[[吾彦]]は晋の武帝の前で、孫晧は英明であったと弁明している<ref>『[[晋書]]』吾彦伝</ref>。
 
能書家でもあり、行書・隷書・小篆・飛白が巧み、[[梁 (南朝)|南朝梁]]の[[庾肩吾]]『[[中国の書論#各時代の書論|書品]]』では、曹操と肩を並べ「魏帝筆墨雄贍,呉主体裁綿密」と絶賛され、九ランクの5番目、中の中に評価している。