「ジョン・アレン・K・ジーグラス」の版間の差分

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m タグでのご指摘を一応改善できたと考え、ノートでの異論もないようなので除去しました(こういう形でいいのですかね)
m 客観的事実でない当人の主張をひとつの「」にまとめた
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[[ファイル:ジョン・アレン・K・ジーグラス、1960年の一審時の新聞記事.jpg|サムネイル|1960年8月、一審判決時の新聞記事(著作権保護期間終了)|リンク=Special:FilePath/ジョン・アレン・K・ジーグラス、1960年の一審時の新聞記事.jpg]]
 
'''ジョン・アレン・K・ジーグラス、ジョン・アレン・カッチャー・ジーグラス'''は、[[1960年]]に[[詐欺罪]]で逮捕され[[有罪]]、その後[[香港]]に[[国外追放]]された白人の男性受刑者。名前、経歴、国籍などはすべて自称で、正式なものかは不明。
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照会の結果、”パスポート”はどこの国が発行した外交旅券でもなく、本人の偽造と判明したが、[[台北]]の日本大使館が1959年にビザをこのパスポートに対して発行、[[東南アジア]]諸国の日本公館のスタンプが押されており、政府内で問題になった。
 
経歴について、「[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で生まれ、[[チェコスロバキア]]、[[ドイツ]]を経て[[イギリス]]に渡り、そこで高校を卒業。[[第二次世界大戦]]では[[英空軍]]の[[パイロット]]で、ドイツ軍の[[捕虜]]になったこともある。戦後は[[中南米]]で暮らした。その後韓国で米軍の諜報機関員となり、やがて[[タイ]]や[[ベトナム]]でパイロットをやった、それからアラブ連合の特殊任務につき、[[エチオピア]]の国境近くにあるネグシ・ハベシ国の外交官となった。日本に来たのは、アラブ大連合の日本人[[義勇兵]]募集という極秘任務遂行のため」などと述べたが、最終的に関係各国に紹介し、すべて事実無根と判明。ホテルから押収した印鑑、つまりジーグラス本人の印鑑と、旅券に押されていた発行責任者の印が一致し、パスポートの偽造も立証された
 
戦後は[[中南米]]で暮らした。その後韓国で米軍の諜報機関員となり、やがて[[タイ]]や[[ベトナム]]でパイロットをやった、それからアラブ連合の特殊任務につき、[[エチオピア]]の国境近くにあるネグシ・ハベシ国の外交官となったという。
 
日本に来たのは、アラブ大連合の日本人[[義勇兵]]募集という極秘任務遂行のため」と述べたが、最終的に関係各国に紹介し、すべて事実無根と判明。ホテルから押収した印鑑、つまりジーグラス本人の印鑑と、旅券に押されていた発行責任者の印が一致し、パスポートの偽造も立証された。
 
[[東京地方検察庁]]は「国籍不明」として起訴し、[[国選弁護人]]も、被告がどこの誰だかわからないまま弁護に当たった。