「癸酉の変」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
14行目:
== 歴史 ==
=== 反乱前史 ===
反乱の指導者[[林清]](1770年-1813年)と{{仮リンク|李文成|zh|李文成}}は、1811年の明るい彗星({{仮リンク|1811年の大彗星|en|Great Comet of 1811}} )の出現により清を転覆することを閃いたようである。北京ではこの彗星は清王朝の偉大な栄誉を示すものだと主張したが、林と李は、この彗星が清を転覆する「自分たちの企図を祝福する吉兆」だと考えた。彼らは信者を8つの集団(八卦)に分け、反乱成功後の将来の分け前を約束することで寄付を集めた。「李文成が蜂起を果たしたならば、資金や糧食を提供した者全てに土地や役職を与えることが約束された。」<ref name="Elleman2001" />
 
1813年7月、天理教の主要な指導者は反乱の日時を決める為に会合を開いた。旱魃や洪水ならびに小麦の高騰に駆り立てられた彼らは、9月15日に反乱を決行することを決めた。収穫の直後であるのに加え、嘉慶帝が熱河行幸のため北京を離れている予定だった為に紫禁城の警備は手薄だろうと考えられた。計画では嘉慶帝が北京に戻ってきたところで宮城の外で襲撃し暗殺することになっていた<ref name="Elleman2001" />。