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== 述異記などの伝説 ==
[[梁 (南朝)|南朝梁]]の[[任昉]]『述異記』上巻に以下の故事がある。
:[[晋 (王朝)|晋]]の時代<ref>[[中山典之]]『囲碁の世界』では[[春秋時代]]の晋とされているが、[[中野謙二]]『中国囲碁三千年の知恵』では[[西晋]]または[[東晋]]とされている。</ref>に信安郡の石室山
この話は『述異記』が著名だが、[[虞喜]]『志林』([[太寧 (東晋)|太寧]]3年(325年)刊)に記されているものが最も古い。『[[晋書]]』にも同様の話が所載されている。
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==類似の伝説==
唐の[[段成式]]の『[[酉陽雑俎]]』では、
:晋の[[泰始 (晋)|泰始]]年間、北海の[[蓬球]]、字は伯堅という者が、貝丘の玉女山の山奥で不思議な宮殿にたどり着くと、中では四人の婦人が碁を打っていた。そこに鶴に乗った女が現れ、球のいることに怒ったので、門を出て振り返ると宮殿は消え失せていて、家に帰ると[[建平]]年間になっていた。
『幽明録』にある民話では、[[漢]]の[[明帝 (漢)|明帝]]の[[永平 (漢)|永平]]5年(62年)に剡県で、[[劉晨 (後漢)|劉晨]]と[[阮肇]]が天台山で女に出会い、村へ帰ると七代後の子孫が住んでいた。この変形で「仙女の洞窟」という民話では、劉晨と阮肇が山で迷い込んだ洞窟で[[仙人|仙女]]が碁を打っていた。村へ帰ると4、500年が過ぎており、洞窟に戻ると扉が閉じていて、二人は頭を壁に打ちつけて死んでしまった。天はこれを哀れんで、二人を幸運の神と悪運の神に任命した。
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東晋の[[干宝]]『[[捜神記]]』の「北斗南斗桑下囲棋」は、
:占星家の[[管輅]]が南陽で[[趙顔]]という若者に若死にの相があると告げ
== 爛柯への言及 ==
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