「キャロライン・マンロー」の版間の差分

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== 来歴 ==
[[バークシャー]]の[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]に生まれる。父親は弁護士<ref name='Redfield'>{{cite web|first=Mark|last=Redfield|url=http://redfieldarts.wordpress.com/2008/02/02/hello-world/|title=The Caroline Munro Interview 2007|date=2009-1-14|accessdate=2009-8-1|publisher=Redfield Arts.com|language=英語|archiveurl=httphttps://web.archive.org/web/20080513095014/redfieldarts.wordpress.com/2008/02/02/hello-world/|archivedate=2008-05-13|}}</ref>。
 
ロンドンでモデルとなり、母親が写真をイブニング・ニュース紙に送ったところ、フェース・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。17歳まで[[ヴォーグ (雑誌)|ヴォーグ]]でモデルをする<ref name='Redfield'/>。その後、映画界に入り、エキストラ出演<ref>マンローはエキストラ時代、番外編007映画の『[[007 カジノ・ロワイヤル (1967年の映画)|007 カジノ・ロワイヤル]]』に、コントロールルームの女性役で出演(クレジットはされず)していたが、後年『007 私を愛したスパイ』では、晴れて[[ボンドガール]]となった。役柄は敵側のヘリコプター・パイロットである。</ref>を経て、1969年の『西部野郎奮戦記』で本格デビュー。