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=== ポリネシア人の移住 ===
[[海底火山]]の[[噴火]]によって形成された島に最初の移民がたどり着いた時期については諸説ある。文字記録がないため発掘調査における[[放射性炭素年代測定|炭素年代測定]]が有力な調査手段とされ、従来は[[4世紀]]〜[[5世紀]]頃とする説や西暦800年頃とする説が有力だったが、近年の研究では西暦1200年頃ともいう{{sfn|Hunt|2006}}<ref>[https://science.sciencemag.org/content/311/5767/1603 Late Colonization of Easter Island]Terry L. Hunt1, Carl P. Lipo 2006</ref>。この移民は、はるか昔に中国大陸からの人類集団([[漢民族]]の祖先集団)の南下に伴って[[台湾]]から玉突き的に押し出された人びと(→[[オーストロネシア語族]]を参照)の一派、いわゆる[[ポリネシア人]]である。ポリネシア人の社会は、[[酋長]]を中心とする[[部族]]社会であり、酋長の権力は絶対で、厳然たる階級制度によって成り立っている。部族社会を営むポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者たちの霊を部族の守り神として祀る習慣があった。[[タヒチ島|タヒチ]]では、マラエと呼ばれる祭壇が作られ、木あるいは石を素材とするシンボルが置かれていた
=== モアイの時代 ===
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=== 文明の崩壊 ===
==== 原因は自然破壊や部族抗争による自滅が原因とする説 ====
島民の入植から[[17世紀]]までの間モアイは作られ続けたが、18世紀以降は作られなくなり、その後は破壊されていった。平和の中でのモアイ作りは突然終息する。モアイを作り、運び、建てるためには大量の[[木材]]が必要で、[[伐採]]によって[[森林|森]]が失われた。ジャレド・ダイアモンドらは、こうした人為的な自然破壊が究極的に
近年、
==== 原因は環境が激変したためとする説 ====
ただし異説もあり、テリー・ハントは、まず、森を破壊した主因は[[ネズミ]]による食害だとしている。天敵が居ない環境にネズミが持ち込まれると、その急激な繁殖に伴って森林が破壊され、これを駆除すると森林が再生する様子は太平洋の他の島々の歴史上でも見られて来た{{sfn|Hunt|2006}}。
==== 原因は西洋人による侵略とする説 ====
部族の争いがあったにしては、[[殺人|人を殺す]]ことを目的としたような殺傷能力のある「[[武器]]」が島内からほとんど発掘されておらず、島で使われていた「マタア」と呼ばれる[[石器]]は、人を刺し殺すような作業には適していないという。島内から発掘された469個の[[頭蓋骨|頭骨]]を調べたところ、マタアによるものと思われる切り傷の痕が見つかったのは、そのうちわずか2個だけだった。西洋人による侵略時にも、現地人は[[投石]]で戦ったとされる。このことから、口伝にあるような戦闘があったのかどうか疑問視する専門家もいる<ref name="natgeo022400064">{{cite news |title=イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説|newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2016-2-25 |url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022400064/ |accessdate=2017-3-11}}</ref>。また、自然破壊の原因の一つとされたモアイの運搬についても、従来説では木の[[そり|橇]]と[[軌条]]を作り、その上を滑らせるという大量の木材を必要とする方法であったが、現在では、モアイを立てた状態で、縄で左右に揺らしながら、歩かせるように前に進める方法でも可能である事が、実験で確かめられている。この様子は、
いずれにせよ、争いが起こったとされる時から数百年も後になってから、収集された口承だけを頼りにすることは、研究者の間で論争となっている<ref name="natgeo022400064"/>。非常に狭く、住民全てが顔見知りという島であるため、「ほんの数人が死亡した事件でも、島全体に話が伝わり、[[噂|何度も繰り返し話題]]にされれば、そのうち話が膨らんで実際よりもずっと残虐な出来事として伝えられてしまう」という可能性も指摘されている<ref name="yahood573abd"/>。
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ポリネシア人がラパヌイ島に着いたとされる時期の森林は島を覆い尽くすほど茂っていたが、16世紀末頃までにほぼ消滅した。花粉分析から1300年頃までに椰子を初めとする全樹木類の花粉が減少してイネ科やカヤツリグサ科などの草本の花粉が急増していき、場所によりばらつきはあるが1500年〜1600年頃までには椰子、ハケケ、トロミロ、灌木の花粉が消滅する。椰子の実の化石を放射性炭素年代測定で分析した結果でも1500年以後のものは皆無である。環境破壊をしたのは島民自身であるという説{{sfn|Diamond|2005}}と、島民が持ち込んだネズミによるという主に2説がある。
[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]による最初の西洋人による太平洋横断は[[1521年]]のことであり、先に挙げた樹木花粉の消滅時期や椰子の実の化石の消滅時期より後である。ただし、
== 脚注 ==
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