「米中関係」の版間の差分

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国際社会の反応は様々だった。ソ連は米中和解に深い懸念を示し、新しい世界秩序は[[米ソデタント]]に大きく貢献した。ヨーロッパの同盟国の多くと[[カナダ]]は既に中国を承認していたため歓迎の意向を示した。しかし、アジアの反応はもっと複雑だった。日本は発表の内容を15分前まで知らされておらず、アメリカが日本よりも中国を重視することを怖れて非常に強い不快感を示し、日本の政界は対中政策を巡って大混乱に陥る[[ニクソン・ショック|第一次ニクソン・ショック]]に見舞われた。間もなく日本も中国を承認し、本格的な貿易を再開した。[[大韓民国|韓国]]と[[南ベトナム]]は米中和解が[[社会主義国|共産主義国]]との戦いにおける支援の打ち切りを意味するのではないかと懸念した。アメリカは国交正常化の作業中を通じて、これらの国々との同盟関係が損なわれるものでは無いことを保障した。
 
[[1972年]][[2月21日]]から[[2月28日]]にかけて[[ニクソン大統領の中国訪問|ニクソン大統領は中国を訪問し]]、[[北京市|北京]]、[[杭州市|杭州]]、[[上海市|上海]]を回ったのち、最終日の28日に外交方針をまとめた[[第一次米中共同声明]]({{仮リンク|[[上海コミュニケ|en|Shanghai Communiqué}}]])を発表した。その中で米中両国は国交正常化へ向けて連携を一層強化していくことを誓った。<ref>[http://www.mofa.go.jp/Mofaj/Gaiko/bluebook/1972/s47-shiryou-6-5.htm 外務省 昭和47年版わが外交の近況 ニクソン米大統領の訪中に関する米中共同声明]</ref> アメリカは台湾は中国の一部であるとする「[[一つの中国]]」を認知し、両国は国交正常化の妨げとなる重要な[[台湾問題]]はさておき、開かれた貿易や連絡を行うことになった。
 
ニクソンの訪中から3か月後に行われた米軍による北爆再開と北ベトナムへの海上封鎖は中国の了解を得たとされ、ベトナム共産党書記局員で党機関紙編集長も務めたホアン・トゥンは「中国は『中国を攻撃さえしなければよい』と米国に言った」と証言している<ref>[[稲垣武]]『「悪魔祓(あくまばら)い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 第21章 PHP研究所、2015年2月、ISBN 978-4-569-82384-3</ref>。以後、北ベトナムは中華人民共和国と対立するソ連との関係を強化し、北ベトナムと中華人民共和国との関係悪化は決定的になり、ベトナムは中国の同盟国である[[カンボジア]]の[[クメール・ルージュ]]政権へ侵攻して[[中越戦争]]が勃発しており、米中は[[カンプチア人民共和国|親ベトナム政権]]ではなく、[[民主カンプチア]]を承認した。また、米中は[[アフリカ]]や[[ラテンアメリカ]]で連携してキューバと敵対し<ref>Gleijeses quoting: Matthews, Herbert in: Forward with Fidel Castro, Anywhere, New York Times, 4 March 1976, p. 31</ref><ref>Fauriol, G. A., & Loser, E. "Cuba : the international dimension". Routledge, 1990, p. 211 ISBN:9780887383243</ref>、[[ランド研究所]]の[[マイケル・ピルズベリー]]の助言などによって米中の軍事協力が推し進められることとなった<ref>Garthoff, Raymond L. (1983). Détente and Confrontation: American-Soviet Relations from Nixon to Reagan. Brookings Institution. ISBN 978-0-8157-3044-6. p.696</ref><ref>Ali, Mahmud (2005). US-China Cold War Collaboration, 1971–1989. Routledge. ISBN 978-0-415-35819-4. p.81</ref>。国交正常化の成果は[[安全保障]]に限定され、経済への影響は遅く、アメリカ製品の中国市場への参入にはあと10年を必要とした。
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=== 国交正常化から六四天安門事件 ===
[[1978年]][[12月15日]]の[[第二次米中共同声明]](中華人民共和国とアメリカ合衆国の外交関係樹立に関する共同コミュニケ)の合意通りに、[[1979年]][[1月1日]]を以ってアメリカは[[中華民国]]に代わって[[中華人民共和国]]と[[外交]]関係を結ぶことになった<ref>[http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/gaiko/bluebook/1979/s54-shiryou-005.htm#11 外務省 昭和54年版わが外交の近況 米中関係正常化関連文書]</ref>。アメリカは{{仮リンク|[[上海コミュニケ|en|Shanghai Communiqué}}]]で示した「[[一つの中国|台湾は中国の一部である]]」との中国の立場を改めて確認した。中国はアメリカ人が台湾の人民との商業的・文化的・その他の非公式の交流を続けていくことを確認した。こうした台湾との実務的な非公式関係を保障するため、アメリカは国内法で『[[台湾関係法]]』を制定した<ref>[http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19790410.O1J.html 台湾関係法]</ref>。
 
[[File:Carter DengXiaoping.jpg|thumb|220px|アメリカを訪問した[[鄧小平]]副総理とアメリカの[[ジミー・カーター]]大統領。]]
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[[ファイル:Obama and Wen Jiabao.jpg|thumb|260px|[[2010年]][[9月23日]]に会談したアメリカの[[バラク・オバマ]]大統領と中国の[[温家宝]]国務院総理。]]
アメリカのオバマ大統領は米中戦略経済対話の演説で[[孟子]]の教えを引用して米中両国の相互理解を促した。オバマ大統領は、同年11月15日~18日にはアジア歴訪日程の半分を費やして初めて訪中して[[胡錦濤]]主席(総書記)と会談し、共同声明で米中の戦略的相互信頼の構築と強化を謳い<ref group="注釈">なお、中国はアメリカの「バイ・アメリカン」条項が中国を含む海外の製造者を差別するものであるとして懸念を表明した。</ref>、アメリカでは{{仮リンク|Group of Two|en|[[Group of Two|label=G2}}]]([[チャイメリカ]])という二大大国を意味する言葉が使用され<ref>[http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-482.html 辻本貴一2009/08/03ブログ記事]</ref>、米中接近が演出された。
 
またオバマ大統領は会談などで、[[中国の人権問題|中国国内の人権問題]]や[[チベット]]、[[ウイグル]]([[東トルキスタン]])、[[内モンゴル]]における[[少数民族]]への弾圧や[[大量虐殺]]などへの批判をまったく控え、これらにより、中国側の自制を期待していた。中国はこれに対し、少数民族の抑圧や弾圧を改めないばかりか、南沙問題などで周辺諸国に軍事的恫喝を加えるまでになり、[[Google]]事件や、中国における言論弾圧と戦う活動家[[劉暁波]]への[[ノーベル平和賞]]授与への妨害介入など、国際社会に挑戦する外交を繰り返した。