「調停 (国際法)」の版間の差分

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シンガポール調停条約の追記
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1921年には、スカンジナビア諸国の提案を受け国際連盟総会は、連盟の紛争解決手続きと抵触しない限り各国が紛争解決条約によって調停委員会を設置することが勧告された<ref name="杉原408-411"/>。その後例えば1925年のフランスとスイス間の条約や、ドイツがベルギー、フランスチェコスロバキア、ポーランドとの間でが締結した[[ロカルノ条約]]など、調停手続きについて定めた二国間条約が多数締結された<ref name="杉原408-411"/>。また多数国間条約では、1928年の[[国際紛争平和的処に関する一般議定書]]に、国際紛争解決手段の一つとして調停が定められた<ref name="杉原408-411"/>。
 
調停員会の構成は条約の定めによって異なるが、国際裁判の義務と調停の義務双方が条約に定められる場合には、法律的紛争は裁判手続きに、非法律的紛争と裁判手続きに付されなかった紛争は調停手続きに、という方式となっている事が多い<ref name="杉原408-411"/>。[[国際紛争平和的処に関する一般議定書]]では、委員会は5名で構成され、当事者により各1名指名し残りの3名は合意により第三国国民から選ばれるものと定められた<ref name="杉原408-411"/>。ただし実際にこうした調停手続きが国際紛争の解決のために用いられた例は少ない<ref name="杉原408-411"/>。戦間期にこのような調停が用いられたのは、[[チャコ]]地方の[[領有権]]を巡って[[ボリビア]]と[[パラグアイ]]との間で争われた領有紛争に関する審査調停委員会など、数例があるのみである<ref name="杉原408-411"/>。
 
その後も[[タイ王国|タイ]]と[[カンボジア]]間の国境変更を巡って争われた紛争処理のために1947年に設置された[[フランス]]・タイ調停委員会や、1956年に課税紛争処理のために設置された[[イタリア]]・[[スイス]]調停委員会、1981年に[[ヤン・マイエン]]大陸棚境界画定紛争の処理のために設置された[[アイスランド]]・[[ノルウェー]]間の調停委員会などの例がある<ref name="杉原408-411"/>。こうした紛争は国際裁判手続きにもなじむ性質のものであったが、裁判より柔軟な手続きとして調停が裁判に代わり利用されたとみることもできる<ref name="杉原408-411"/>。特にアイスランド・ノルウェー間の調停委員会では、委員会は国際法を検討したうえで共同開発方式を両国に対し勧告し、国際裁判方式ではできない柔軟な解決策を示したといえる<ref name="富岡516-517">[[#富岡(2009)|富岡(2009)]]、516-517頁。</ref>。