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== ケプラー運動 ==
 
=== 軌道要素 ===
 
ケプラーの軌道要素
 
=== 軌道決定 ===
正則化? ここに書くことではないかも, でも他に書く場所が
ある瞬間における天体の座標 <math>( x, y, z )</math> および速度 <math>( v_x, v_y, v_z )</math> が与えられたならば、その天体の軌道要素を計算することができる。しかし実際には一回の観測で得られるのは赤緯および赤経というふたつの値だけであり、天体の軌道要素を決定するためには最低三回の観測を行う必要がある。
 
== 摂動論 ==
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*[[クラウディオス・プトレマイオス]] (c83-c168)
*[[ニコラウス・コペルニクス]] (1473-1543)
*[[ティコ・ブラーエ]] (1546-1601)
*[[ガリレオ・ガリレイ]] (1564-1642)
 
*[[ヨハネス・ケプラー]] (1571-1630)
1576年から1601年にかけて、[[ティコ・ブラーエ]] (1546-1601) は[[デンマーク]]([[ウラニボリ]])、次いで[[チェコ]]の[[プラハ]]において[[太陽]]と[[惑星]]を観測し、[[望遠鏡]]がない当時としては最高精度の誤差1-2分角でその位置をした{{Sfn|Beutler|2005|p=19}}。[[ヨハネス・ケプラー]] (1571-1630) はブラーエの観測結果をもとに[[ケプラーの法則]]に到達し、1609年の ''[[:en:Astronomia nova|Astronomia nova]]''、1619年の ''[[:en:Harmonice Mundi|Harmonice Mundi]]'' においてこれらの法則を公刊した{{Sfn|Beutler|2005|p=20}}。
*[[アイザック・ニュートン]] (1642-1727)
 
*[[エドモンド・ハレー]] (1656-1742)
=== ニュートンの「自然哲学の数学的諸原理」 ===
*[[レオンハルト・オイラー]] (1707-1783)
1687年に[[アイザック・ニュートン]] (1642-1727) は[[自然哲学の数学的諸原理]](プリンキピア)を出版し、[[ニュートン力学]]および天体力学の基礎を築いた。まず第1巻でニュートンは[[質量]] (quantity of matter) および[[運動量]] (quantity of motion) を定義し、[[力]] (force) について論じている{{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|pp=260-261}}。続いて[[運動の法則]]を定式化し{{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|pp=262-265}}、[[中心力]]場のもとでは[[面積速度]]が一定であること(そして逆に面積速度が一定であるならば中心力が働いていること){{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|pp=265-266}}、[[円錐曲線]]を描いて運動する物体には距離の二乗に反比例する中心力が作用していること{{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|p=266}}、その場合に楕円軌道を描く物体の周期は楕円の長半径の1.5乗に比例すること{{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|p=266}}を示した。
*[[アレクシス・クレロー]] (1713-1765)
 
さらにニュートンは互いに引力を及ぼす[[二体問題]]についても論じ、その[[重心]]まわりの運動に帰着できることを示し、逆二乗則の場合には重心まわりの軌道は円錐曲線となることを主張した{{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|p=267}}(ただし[[楕円]]軌道を描くことの証明をプリンキピアの初版では与えず、後の版では証明の概略のみを著述している{{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|pp=266-267}})。また、その理論を月の運動に適用し、
 
{{Sfn|Timberlake|Wallace|2016|pp=-}}
 
なおニュートンがプリンキピアを書き上げるにあたって、[[ロバート・フック]] (1635-1703) や[[エドモンド・ハレー]] (1656-1742) ら同時代の研究者の業績に大きく影響を受けていることが知られている。
 
=== 解析力学 ===
ニュートンのプリンキピアは当時考案されたばかりの[[微分法]]および[[積分法]]の使用を避け幾何学的な考察に基づくものであり極めて難解なものであった。
 
*[[ジャン・ル・ロン・ダランベール]] (1717-1783)
 
*[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]] (1736-1813)
[[レオンハルト・オイラー]] (1707-1783) は1749年の論文 ''Recherches sur le mouvement des corps célestes en général'' において[[ニュートンの運動方程式]]を現在知られている形で初めて書き下した<ref>{{Cite journal |last=Euler |first=Leonhard |title=Recherches sur le mouvement des corps célestes en général |date=1749 |journal=Mémoires de l'académie des sciences de Berlin |volume=3 |pages=93-143 |url=https://scholarlycommons.pacific.edu/euler-works/112/}}</ref>{{Sfn|Beutler|2005|p=23}}。
*[[ピエール=シモン・ラプラス]] (1749-1827)
 
*[[カール・フリードリヒ・ガウス]] (1777-1855)
*1788年に[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]] (1736-1813) は ''[[:en:Mécanique analytique|Mécanique analytique]]'' を出版し、
*[[ペーター・ハンゼン]] (1795-1874)
 
=== 三体問題 ===
ニュートンのプリンキピアは月の近地点移動を正しく説明しないことが18世紀半ばに問題となり、オイラー、ダランベール、そして[[アレクシス・クレロー]] (1713-1765) らの間で論争となった。オイラーやクレローは当初逆二乗則に加えて逆四乗則の力が存在する可能性を検討していたものの、クレローが太陽による高次摂動を考慮することによりこの問題を解決した。
 
レオンハルト・オイラーは1765年に制限三体問題の平衡点である[[ラグランジュ点]]のうち直線解と呼ばれる3点を、ラグランジュは1772年に残るふたつの正三角形解を発見した。
 
=== 摂動論の開発 ===
定数変化法
 
ラグランジュは1788年の ''Mécanique analytique'' において[[擾乱関数]]、[[ラグランジュ括弧]]および[[ラグランジュの惑星方程式]]といった天体力学の基本的な道具立てを導入している。
 
[[ピエール=シモン・ラプラス]] (1749-1827) は1798年から1825年にかけて5巻からなる ''[[:en:Traité de mécanique céleste|Traité de mécanique céleste]]'' を出版した。この著作は以下の内容を取り扱っている。
* 天体の平衡形状
* 木星と土星の永年摂動に関する great inequality
* 太陽系の安定性に関するラプラスの定理
 
=== 軌道決定 ===
 
*[[ティティウス・ボーデの法則]]
*1781年の[[ウィリアム・ハーシェル]]による[[天王星]]の発見
 
1801年1月に[[ジュゼッペ・ピアッツィ]]は[[ケレス (準惑星)|ケレス]]を発見し(これは最初の[[小惑星]]の発見であった)2月上旬まで観測を続けたものの、見失った。そこで[[カール・フリードリヒ・ガウス]] (1777-1855) は同年9月からケレスの軌道計算に取り組み始め、12月にケレスの位置の予測を発表した。[[フランツ・フォン・ツァハ]]と[[ヴィルヘルム・オルバース]]はガウスの予測通りの位置にケレスを再発見した。さらに翌年に発見された小惑星[[パラス]]の軌道計算に成功したことによりガウスは天文学者としての名声を獲得し、[[ゲッティンゲン]]の天文台のポストを得た。ガウスはさらに天体力学の研究を進め、その成果を1809年に「天体運動論」として出版した。
 
=== 正準理論 ===
 
*[[シメオン・ドニ・ポアソン]] (1781-1840)
 
*[[カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ]] (1804-1851)
*[[ユルバウィリアム・ローワン・ハミヴェリエトン]] (18111805-18771865)
 
=== 高次の摂動論 ===
1821年に[[アレクシス・ブヴァール]]は天王星の天文表を出版したが、その後の観測はブヴァールの計算と食い違った。これは未知の惑星の摂動によるものであると考え、[[ジョン・クーチ・アダムズ]] (1819-1892) と[[ユルバン・ルヴェリエ]] (1811-1877) は独立にこの未知の惑星の軌道を計算し、ルヴェリエの予測をもとに[[ヨハン・ゴットフリート・ガレ]]が1846年に[[海王星]]を発見した(アダムスの計算結果を受け取った[[ジェームズ・チャリス]]と[[ジョージ・ビドル・エアリー]]も探索を試み、ガレによる発見の後に海王星を見出したが彼らは発見者とは認められていない)。
 
ルヴェリエは7次までの literal expansion を遂行し、1855年に出版した<ref>{{Cite journal |last=Le Verrier |first=U.-J.J. |date=1855 |journal=Ann. Obs. Paris, Mem. |volume=1 |pages=258–331}}</ref>。この展開は[[ペーター・ハンゼン]] (1795-1874)、[[サイモン・ニューカム]] (1835-1909) らによってさらに発展した。
 
彗星の同一性に関する[[ティスラン・パラメータ|ティスランの判定式]]で知られる[[フェリックス・チスラン]] (1845-1896) は ''Traité de mécanique céleste'' を出版した。
 
月の理論
*[[シャルル=ウジェーヌ・ドロネー]] (1816-1872)
*[[ジョン・クーチ・アダムズ]] (1819-1892)
*[[サイモン・ニューカム]] (1835-1909)
*[[ジョージ・ウィリアム・ヒル]] (1838-1914)
*[[フェリックアーネチスウィリアム・ブン]] (18451866-18961938)
 
=== 力学系の理論 ===
三体問題の求積不可能性
 
*[[アンリ・ポアンカレ]] (1854-1912)
*[[アレクサンドル・リャプノフ]] (1857-1918)
 
*[[アーネスト・ウィリアム・ブラウン]] (1866-1938)
*[[:en:Edvard Hugo von Zeipel]] (1873-1959)
*[[トゥーリオ・レヴィ=チヴィタ]] (1873-1941)
*[[カール・スンドマン]] (1873-1949)
*[[アルベルト・アインシュタイン]] (1879-1955)
*[[ジョージ・デビット・バーコフ]] (1884-1944)
 
*[[萩原雄祐]] (1897-1979)
=== 一般相対性理論 ===
19世紀中には摂動計算による[[水星]]の[[近日点移動]]の予測値が観測値と食い違うことが知られており、ルヴェリエらは[[海王星]]の発見の経験から水星軌道より内側に未知の惑星[[バルカン (仮説上の惑星)|バルカン]]が存在すると考えていた。しかし[[アルベルト・アインシュタイン]] (1879-1955) は自身の[[一般相対性理論]]によるニュートン重力の補正項によりこの不一致が説明できることを示した。
 
[[萩原雄祐]] (1897-1979) は一般相対論的天体力学の開発に貢献した。
 
*[[ディルク・ブラウワー]] (1902-1966)
 
*[[アンドレイ・コルモゴロフ]] (1903-1987)
*[[:de:Paul Kustaanheimo]] (1924-1997)
*[[古在由秀]] (1928-2018)
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book |first=Gerhard |last=Beutler |title=Methods of Celestial Mechanics Volume I: Physical, Mathematical, and Numerical Principles |publisher=Springer |date=2005 |doi=10.1007/b138225 |isbn=978-3-540-40749-2 |ref=harv}}
* {{Cite book |first1=Todd |last1=Timberlake |first2=Paul |last2=Wallace |title=Finding our Place in the Solar System: The Scientific Story of the Copernican Revolution |publisher=Cambridge University Press |date=2019 |isbn=9781316856208 |doi=10.1017/9781316856208 |ref=herv}}
* {{Cite journal |last1=Wilson |first1=Curtis |title=The great inequality of Jupiter and Saturn: from Kepler to Laplace |journal=Archive for History of Exact Sciences |volume=33|issue=1-3|year=1985|pages=15–290|issn=0003-9519 |doi=10.1007/BF00328048 |ref=harv}}