「無知」の版間の差分
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== 無知の自覚 ==
{{See also|en:I know that I know nothing}}▼
他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。[[ギリシア]]の哲学者[[ソクラテス]]は当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。ただし、ソクラテスは「無知の知」を主張していないとも、指摘されている<ref>『広辞苑』見出し語「ソクラテス」</ref><ref>{{Cite web|title=哲学の誕生 UTokyo BiblioPlaza|url=https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/C_00027.html|website=www.u-tokyo.ac.jp|accessdate=2020-10-09|publisher=[[東京大学]]|author=[[納富信留]]|date=2017}}</ref>。
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[[20世紀]]には、[[クルト・ゲーデル]]により[[ゲーデルの不完全性定理|不完全性定理]]が用意されたが、クザーヌスよりはずっとソクラテスの[[アプローチ]]に近い。なお、現代物理学の研究にも貢献しているゲーデルが特異な関心を示した[[ライプニッツ]]の、[[モナドロジー]]は、その[[形而上学]]を僅かに[[物理学]]化した途であると看做せる。このことも[[政策|政策論]]としてのみではなく、無知の自覚との関係性の下で理解することができる。
▲{{See also|en:I know that I know nothing}}
== 無知の罪 ==
一方で、無知を[[罪]]とする考えも一般に存在する。たとえば、社会的な[[文化]]や
{{See also|過失犯}}
== 脚注 ==
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