「北九州市」の版間の差分

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また市内にある[[北九州市立大学]]の前身である北九州外語大学(当時、1953年から2000年までは「北九州大学」)が1950年以来「北九州」を冠していたほか、1923年(大正12年)から国定教科書において八幡市、戸畑市の工業地帯が「[[北九州工業地帯]]」と表記されていた。いずれも北九州市の成立以前から、この地域を表す名称として使われていたものとして挙げられる。
 
ただ、九州の最北という位置から付けられたこの「北九州」の名称により、「北関東・南関東」のように九州地方の南北を表す際、北九州市と混同しないよう「[[北部九州]]・南九州」という他地域にはない独特の表現がされている。なおまた、2009年の鹿児島県[[南九州市]]の誕生により更に混乱を極め、従来使用されていなかった「南部九州」という表現も出てきている。みにお、同市とは一字違いという縁で、2008年7月31日に両市の間で“南北”九州市の交流協定を締結。偶然にも市の花も両市とも『ひまわり』である。
 
北九州市は昔から交通の要衝であり、[[重化学工業]]で栄えた都市でもある。古くから[[筑豊]]地方、[[京築]]地域、[[遠賀郡|遠賀]]地方、[[福岡市]]周辺はもとより、山口県の[[下関市]]、[[宇部市]]、[[山陽小野田市]]、[[美祢市]]、[[大分県]]の[[中津市]]、[[宇佐市]]などの地域との関係が歴史的・文化的に密接であり、本市を中心にこれら3県に跨がる[[関門都市圏]]を形成している。